皆さま
こんにちは!菊地です(^^ゞ
日が長くなってきましたね~!
本日は快晴しかもとっても暖かく・・・何だか春のようでしたね
情報コーナー前ホールでは陽のふりそそぐ美しい風景を眺めながらお客さまがゆったりとした時間を過ごされていましたよ
しかも水仙と可愛らしい梅の花の春らしい香りがホール中に漂っていますヽ(´▽`)/✿
私は岩手県出身なのですが、2月のこの時期の岩手はもう『雪ざんまい』
春に向けて『ドカ雪』が降る時期です
本日のようなお天気はこの時期の岩手県では味わうことはできません
1年前
道の駅ほうほくが3月24日に開業する前の2月26日から、私と事務スタッフの中野で、本州四端協定で結ばれている岩手県宮古市を中心とした沿岸部被災地の道の駅11箇所を、交流を深めるために視察しました。
その時も前日にドッカリ大雪・・・
いくら東北出身で雪道には慣れている・・・と言えど、自分以外の命を助手席に乗せての移動は正直・・・それはもう緊張です(汗)
そして
今年の3月24日で道の駅ほうほくも開業から早いもので1年。
この1年の間に私の出生地である宮古市、そして沿岸部の道の駅とも交流を深めることができました。
開業の年の5月には宮古市から山本市長と行政の担当者の皆さま、そして宮古市の子供たちと保護者の皆さまが道の駅ほうほくへ来てくださいました。
(2012年5月4日 宮古市の子供たちと)
この時は本当に感動的でしたし、不思議な感覚でした。
ついこの前の出来事だったような感覚がしますが、5月のことですからもうだいぶ過ぎているんですね(^-^)時が経つのは早いものです。
2011年3月11日に東日本大震災が発生してから今年の3月で2年。
時が過ぎるのは早く感じますが、私の中には鮮明にその時の感覚が鮮明に残っています。
上の写真は私の実家があった地域のにある小さな漁港です。父の釣り用の船はここに停泊されていましたが津波で流されました。大津波は岸壁を軽々超えて襲ってきました。
右の写真の波が盛り上がっている部分がその岸壁です。
2年が経とうとしていますが、復旧は進んでいても復興はまだまだ始まったばかりです。
これからが勝負!毎日が勝負!
東北被災地の皆さまは毎日が戦いなのです。
私たちにできること。
『支援』の継続です。
どんな形でもいいんです。
皆さまの心が東北の被災者の皆さまへ、1人でも多くの人々へ届く、届かせることで被災地の皆さまは希望を持つことができ、孤独感から救われるのです。
道の駅ほうほくも東日本復興支援を掲げ支援を続けています。
私1人ではどうにもできなかった様々な支援をこうして道の駅の皆さまの協力のもと、実現できていることに、私は本当に感謝をしながら微力ながらでも道の駅の支えになれるよう日々過ごさせていただいております。
そして
これからもその気持ちが変わることはありません。
今月24日から再び岩手県沿岸部へより深く絆を深めるため、支援に繋げるため私と事務の中野と2人で視察へ行ってきます。
今の被災地は?皆さまの様子は?被災地の復興の様子を1人でも多くの方々へ理解していただきたいと言う思いが私たちにはあります。
被災地の今、そして震災前の町並みなど、復興のために前を向いて進む皆さまの様子などのパネル展の開催を実現すべく準備をしています。
仕事ど言えども私の故郷。
思いは様々です。
もちろん、昨年と同じように実家跡地にも行ってこようと思います。
上の写真のコンクリート部分の上に実家がありました。昨年は前日降り積もった雪で基礎も見えず何もない状態でしたが、今年はきっと木々も生えていることと思います。
両親が移住前まで住んでいた仮設住宅にも行きます。
左の写真は昨年のものですが、ここには今でも叔父、叔母、親戚たちが暮らしています。
写真手前の住宅に両親は住んでいました。
そして
以前に道の駅ほうほくにも来ていただき、さらに東北支援として絆をつなげる素晴らしい活動をし全国を回っている湯澤真さんと、何と!宮古市で合流できることになりました。
実に2ヶ月半ぶりの再会となります。
素晴らしいことです。
山口県で初めて出会い、そして岩手で再会できるとはこれもまた奇跡だと思います。
風化はさせません。させたくありません。
膨大な被害、そして多くの人々の尊い命が一瞬にして奪われているのです。
道の駅もより一層、道の駅ネットワークを広げ絆を深めるため前に進みます。
心と心の繋りを大切に、現実に立ち向かう被災地の皆さまに感謝の心を込め、今後の支援に繋げていけるように・・・
様々な思いを胸に岩手に行ってきたいと思います。
待っていてね東北
パネル展の詳細はまた後日改めて告知させていただきたいと思います。
以上
緊張で心臓が踊っている菊地がお届けいたしました★