皆さまこんにちは、アライシです
今日も曇り空でときどき雨模様の豊北町
梅雨前線がそのまま秋雨前線に「へんし~~~んっ!」したような毎日です
このままだと「灼熱の夏」をあまり感じないまま9月に突入!?
エントランスホールにも秋の気配が。。。
女性スタッフ、岡部さんによる切り絵の力作です
岡部さんはほっくんの衣装デザイナーでもあります。
これまでは同じ場所に「花火」が飾られていました。
七夕飾りのデコレーションといい、
岡部さんの作品には
お客さまのみならず私たちスタッフも癒されています
さて、昨日のお休みは太翔館に出向いてまいりました。
修復後の太翔館に入るのは初めてだったのですが
「これがかつては小学校!?」ってほど立派です
ベランダの手すりの模様も細かいっ!
何しろ大正時代からの建物なので当時は老朽化はしていたと思いますが
私が小学生だった頃、滝部の同級生たちはこんなすてきな学校に通ってたんだな、と。
こちらが玄関ホールの真上に当たります講堂。
とても小学校とは思えない。。。
シャンデリアのデザインも
正面玄関より凝ってます
正面のホワイトボードの向こうには「奉安殿」が見えます。
戦前はここに「御真影」と呼ばれた天皇皇后両陛下の写真が納められていました。
私の通っていた神玉小の講堂にもありましたね。
「あの立派で大きな扉の中には何があるほやろ?」といつも思ってたものでした。
そう、
このノスタルジックですてきな講堂の中に今回のアライシの太翔館訪問の本来の目的が。
「期間中に絶対に見ておかなくては」と思っておりました
8月7日のブログで菊地さんが紹介していた太翔館での催し物
親子のきずな展~ツルブからの手紙~
こちらがその開催会場なのです。
第二次世界大戦のさなか、
ニューギニアのニューブリテン島ツルブの戦地に赴いた
29歳の若いお父さん(小林喜三さん)から、
下関市に住むまだ字も読めない小さな息子さん「征チャン」に宛てて出された
愛情のいっぱい詰まった手紙の数々が展示されていました。
その数なんと140通近く。
普通サイズのはがきに
中にはびっしり850字に近い文字が書かれたものや
わかり易いイラストが鮮やかな色彩で見事に描かれたり
それがクイズ形式になっていたり。。。
「征チャンのシンブン」として何通も何通も。。。
幼いわが子に宛てた手紙ですから内容は和やかなのですが
その裏に隠された父親の悲痛な思いが垣間見れて
何ともいたたまれない気持ちになりました。
喜三さんは昭和19年1月14日に砲弾の破片を受け
二度と「征チャン」の顔を見ることなく亡くなりました。
実は私自身、祖父が戦死を遂げています。
南の戦地に向けて船での移送中、爆撃に遭い
小林さんと同じ昭和19年、沖縄南方海上で亡くなったそうです。
なので私も床の間に飾られた軍服姿の写真の祖父しか知りません。
その祖父が祖母に宛てて書いた手紙がかつては実家にも残っておりました。
その中には小林さんと同じように
小さな3人の息子たちを気遣う内容と
祖母へは「あぁ、君がついているから心配ないね」といった
あっさりめの文面のすきまには
目には見えないけれど
あふれるほどの家族への思慕と愛情が綴られていました。
それまで写真の中の2次元の存在だった祖父が
一気に実態を持って近くに感じられた瞬間でした。
その手紙も祖父の写真も実家の火災で焼失。
でも
今でも祖父の凛々しい姿と
手紙の中のやさしい言葉は記憶の中に鮮明に残っています。
ほとんどが戦争を知らない世代となってしまった今、
ぜひこのような機会に戦争の悲惨な実態に触れ、
今の平和がかけがえのないものだと感じてもらえればと思います。
会期は8月31日までとなっています。
太翔館の見事な建物と合わせて
かつての日本と、豊北町と、
向き合う時間を作ってみられませんか?