道の駅 北浦街道ほうほく For Foreign Tourists

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スタッフブログ 2015.03.02

4年目の3.11

皆さま

こんにちは 菊地です。

 

今日は少し霞がかってはいますが清々しく気持ちの良い天候となっている豊北町です。

 

先日2月28日は豊北町内の肥中街道を歩きながら歴史散策をする『肥中街道ウォーク』に参加して来ました。

 

50名の募集でしたが今回は何と!参加者120名以上!!!

 

心配された天候もまさに『ウォーキング日和』の快晴!

太陽に照らされながら・・・じんわ~りと汗をかきながら、そして新たな発見もしながら、豊北町の奥深い歴史散策をすることができた1日となりました。

 

そして

とにかくまあ!山の中の空気が美味しいこと!!歩いている最中にも『あ~空気美味しい!!』『気持ちいい~!!』と何度か大きな独り言を言いながら歩きました(笑)

マイナスイオンをビンビン感じましたよ 🙂

 

次回も楽しみです!!

 

 

 

さて・・・

 

3月になり何かと忙しい時期に入りましたが

私や家族にとっても心の中も忙しくなる時期でもあります。

 

東日本大震災が発生した日-

 

『3月11日』

 

今年で発生から4年目の3月11日を迎えます。

 

1日1日を過ごしていればもちろん当たり前にまたその日はやって来ます。

そして特に・・・その日の2時46分が近付くにつれ心がキューっと締め付けられそうになります。

発生したのを憎んでいるのでも、いつまでも悲しんでいるわけでもありません。そして3月11日、またあのようなことが起きるわけではないのですが・・・

 

あの日あの時間に何が起きて・・・
そして一瞬のうちに環境を大きく変えてしまったこと

 

大勢の尊い命を奪い去ったこと

 

思い出の詰まった実家も近所も何もかも消えてしまったこと

・・・自然界の壮大な環境の中で生かされているのは私たち人間で

その元々の存在は地球ですから自然がいつどこで、どのような災害を発生させてしまうかなど誰にもわかりません。

 

発生したのは自然の摂理

地震が発生するのは地球が生きている証

あれだけ大きな地震が発生したらそれなりの津波だって発生する

わかってはいます。

 

でも

自然の驚異と言えど

本当に想像を絶する出来事だった・・・

 

4年も経つ中

まだまだ復興段階の真ん中にも来ていない。

 

頭の中では震災が発生した時間になると

当時のこと・・・焦り、葛藤、悲しみ、悔しさ、無念さ・・・いろいろな感情がグルグルと混ざり合います。

 

何年経っても気持ちは変わっていません。

東北を思う気持ちは何も変わりません。

 

当駅では2012年3月24日の開業から今も継続して東日本の復興を願い様々な支援をして参りました。

本州四端で防災協定を結び、東日本大震災前から深い交流がある岩手県宮古市の新鮮な活ホタテの販売や、岩手県山田町の復活した新鮮な殻付き牡蠣の販売もようやく昨年末くらいから安定した仕入れができるようになりました。

 

巨大津波で海を掻き回され、全てが流され・・・本当に1からのスタートですから、故郷の海産物をここで販売するまでには相当な年数を要するとは覚悟はしていました。

しかし今4年目にしてようやく念願叶い、待ち望んでいた岩手の牡蠣やホタテ、他にはサンマや鮭などを販売できるようにまでになりました。

 

今回はその復活した水産業の発展と更なる復興を願い

3月6日(金)に岩手県宮古市の山本宮古正徳市長へ直接持参させていただくことになりました。

 

そして

東日本大震災が発生してちょうど4年目の3月11日(水)には中尾友昭下関市長へ義援金の寄付をさせていただく予定となっています。

 

岩手では、お互いのことを理解し合い今後、地域を超えた繋がりをより一層深くするため、そして道の駅ほうほくの今後の支援の形を課題に様々なポイントを取材してきます。

 

『忘れないでほしい』

 

日本列島全体に津波警報・注意報が発令され

『地球が終わってしまうかもしれない』と感じてしまうような長く続いた巨大地震の後も、大きな余震が次々襲う中

岩手県で被災した両親、親戚、知人の安否も確認できず

両親や親戚の繋がらない携帯電話や実家などに何度も何度も電話をかけ

ニュースの情報だけを頼りに過ごした3月11日

福島原発の事故で計画停電が始まり子どもたちと真っ暗な部屋の中、ロウソクの光でご飯を食べた日々

 

・・・東日本であの時何が起きたのか

 

少しでもいいんです

思い出していただき東北にむかい心を寄せ、関心を持っていただけたら幸せます。

 

- 菊地 -