道の駅 北浦街道ほうほく For Foreign Tourists

今月の営業時間

売店・・・・・・・・・・・・・8:30~18:00

パン工房・・・・・・・・・・9:00~17:30(定休日に加えて 7/9・7/23は臨時休業

レストラン・・・・・・・10:00~18:00(オーダーストップ 17:00)

今月の定休日

…定休日 

…臨時休業

※7月9日(火)パン工房のみ臨時休業

※7月23日(火)パン工房のみ臨時休業

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スタッフブログ 2017.03.11

あの日から6年

皆さま

こんにちは 菊地です

今日は3月11日

6年前の今日
東日本ではいつも何事もなく過ごしていた日常生活を一変させる自然の脅威となった巨大地震が発生し、その数十分後には誰もが想像もしていないほどの巨大な津波が沿岸部を飲み込みました。

 

ちょうど子供たちが小学校から帰宅してくる時間帯
私はたまたま休日で千葉県船橋市の自宅に居ました

14時46分

地鳴りとともにガタガタ激しくと揺れ出し、その揺れがさらに強くなってきた時「これは大きいな・・・」と少し慌てて窓を開けガス栓を閉め、玄関を全開に。

それでおさまってくれる・・・
きっとそろそろおさまる・・・

そう勝手に思い込んでいました
そう勝手に信じて

「そのうちおさまるはず」と思っていました。

その揺れはおさまるどころか
ますます激しさを増し
地表を左右から何かが引っ張り合いをしているかのような大きく不気味な横揺れに変わりました。

立っていれず座り込んで揺れがおさまるのを待ちながら
「これはいつもと違う。地球が壊れる。」
本当にそう思いました。

目の前の車がおもちゃのようにポンポンと飛び跳ね
公園にある時計台は左右に激しく首を振り
家の中の物が落下する音が響き・・・

そんな中何度も岩手の両親に電話しても繋がらず・・・

その時は地震の次に起きる “想定外の巨大津波” は頭にはまだなく
子供の確保が頭の中で優先されていました。

少し揺れが落ち着いてきた時
子供の確保へ

自宅近くの通学路で長男を発見
名前を叫ぶと安心したのか涙をうっすら浮かべていたのを思い出します。

長女は小学校の体育館に避難していました。

そのまま近所の公園に避難
長女を迎えに行くタイミングを伺っていましたが大きな余震が次々と襲い思うように動くことができず。

携帯のワンセグ機能で何が起きているのか情報を得ようとして・・・
その時初めて何が起きているのかが分かり愕然

信じたくないけれど
今本当に起きている事実をただただ見つめることだけしかできず

この時間帯は父親は漁にでているかも知れない・・・
母親は心配で海に迎えに行くかも知れない・・・

いろいろな事が頭の中を駆け巡りました。

ただ
起きていることがあまりにも想像を絶するもので

それをなかなか現実だと頭が認めてくれなくて

頭の中が充血していくような感覚

大きな余震が続く中でしたが
しばらく後に長女が泣きながら走って私に飛び込んで来ました。

空も薄暗くなり子供を確保できたこともあって公園から自宅へ

部屋の中は落下物が散らかっていましたが割れたものだけ片付け
すぐに逃げ出せるように玄関のドアは開けたまま

子供たちと水や保存食などを準備し、布団で暖を取りながらテレビを見入りました

あり得ない光景が画面に流れ続け・・・

「ダメだ・・・ダメかも知れない、いや無事だと信じよう!」
その感情の繰り返し。

子供たちには酷だとは思いましたが
「万が一おじいちゃん、おばあちゃんに何かあったとしても何を聞いても見ても覚悟しておかないとならない」と伝えました。

長女は大きな口を開けて泣き、長男は固まっていましたが、とんでもないことが起こっているのは理解しているようでした。。。

福島の原発事故
それから計画停電が始まり・・・
近所のコンビニ、スーパーは薄暗く日に日に店内の食料は空っぽ状態に
缶詰やレトルトカレーなどの日々が多くなりました。

電車もいつものように機能できず都心より郊外は夕方で終電 になったり
まだ明るいのに車や人が少なくなって、夜にネオンが広がる近所の景色も暗く静かで計画停電中の夜は異様な空間だったことを思い出します。 

あれから6年の歳月が過ぎ去り・・・

こうして当時のことを思い出すと鮮明に蘇ってはくるものの
やはり6年前の記憶をたどっている自分がいて

でも6年も過ぎたのは事実ですが
気持的には“まだ6年”という感覚の方が大きく

そして1年1年どうしても強くなっていく思いは
『忘れて欲しくない』
『同じ思いはして欲しくない』
『3.11で起きたことから学んで欲しい』
『防災意識を高めて欲しい』ということ。

私たちは自然の中で生かされています
当たり前にあるものですが
地球も生きています
いつどこで何が起きるのか
誰にも分からないのですから。

当駅では東日本大震災後に被災地宮城県気仙沼で咲いたひまわりの種を、復興の願いを込め当駅の農園で毎年咲かせ続けています。

そのひまわりの種をただ今数量限定とはなりますが配布していますので、被災地から繋がったひまわりをまた咲かせていただける方、被災地への思いを繋げたい方、東北を応援していただける方

情報コーナースタッフまでお声がけください。

支援の形はいろいろあると思います。
いを繋げていただけたら心から嬉しく思います。

もう間もなく発生した時間がやってきます。
14時46分。 

東日本大震災の犠牲者と東北を思い手を合わせ祈っていただけたら幸せです。

                                  合掌。