こんにちは 中野です
豊北町は、午後からの雨の予報が信じられないくらいイイお天気です♪
それにしても暖かい日が続きますが、バレンタインデーの本日も思わずチョコレートが溶けてしまわなければいいですが・・・笑
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つい先日、知人へ届け物があり、萩市へ行ってきました
用事が済んで、城下町付近を走行してみると、平日で人通りも少ない!そこで、 運動不足解消も兼ねて、ひさしぶりに “ 萩さんぽ ” をしてみることにしました
ところで 皆さま
こちらの書をどこかでお見かけになったこと、ありますか?
私は初めて目にしましたが、衝撃を受けました・・・
「 木戸孝允(桂小五郎)」旧宅 に 展示されています。
なんと、木戸孝允がわずか7歳か8歳の頃の手習いの書。 た、達筆!
当時も「赤ペン先生」がいらっしゃったのでしょう、 朱書きで『 以ての外よろしい 』という最大級の誉め言葉が書かれています。
後に、名筆家としても知られたそうですが、その片鱗がうかがえる貴重な資料を間近で見ることができて、とても有意義な時間を過ごすことができました。(木戸孝允旧宅では快く写真撮影をさせていただけます)
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この木戸孝允は、松下村塾の門下生ではなかったようですが、萩の藩校明倫館で吉田松陰から兵学を学び、その後、幕末維新・長州藩のリーダー格としても大きな存在となりました。
既にご存じの通り、吉田松陰の教えに大きく影響を受けた志士は数多くいるわけですが、その 吉田松陰のルーツに 実はここ、豊北町も関わっています。
吉田松陰の母「滝子」さんの実家は、豊北町滝部寺地にある「村田家」。
平成27年、その跡地には村田家顕彰碑が建てられました。 JR滝部駅から車で5分ほどの場所にあります。
滝子さんが嫁いだ吉田松陰の生家「杉家」は とても貧しかったそうです。
極貧の中、滝子さんは 家族の決まり事として『 毎日お風呂に入ること 』を宣言した といわれています。
え、そんなこと当たり前じゃないの?と、思われるでしょう?
当時(江戸時代)、「お風呂に入る」準備というのはとんでもない重労働だったようです。 井戸から何十杯と水を汲んで風呂桶に貯めたら、次は火を起こして薪をくべて温める・・・、使用人が何人もいる大きな武家屋敷でも数日おきに入浴するのが一般的な時代に、滝子さんは「分不相応だ」と 周囲からどんなに反対されても、「自分がやります」と、その重労働を全て一人でやったそうです。
なぜ、滝子さんが 『 毎日お風呂に入ること 』に こだわったのか。
生活は貧しくとも、心まで貧しくなってはどうしようもない。
風呂に入ってお湯に浸かれば、心も温まり、明日も頑張ろう!という意欲が生まれるはず。
寒さは人の気持ちも萎えさせてしまう。
滝子さんはこのような心情で、松陰ら子ども達を「強く・明るく・優しく」育んだのです。芯の強い肝っ玉母さんだったことが想像できます。そんな滝子さんに育てられた子ども達も、自然とこの重労働を手伝うようになっていたそうです。
実は、私も小学生まで薪の火で湯を沸かす昔ながらのお風呂に入っていました。薪火の番をしながら「熱くないかねー?」と言ってくれていたのは祖母でした。今思えば、薪を準備したり、湯の加減を気にかけたり、孫もお手伝いする気配はなく ・・・大変だっただろうなと、感謝の気持ちがこみ上げてきました。
吉田松陰の母「滝子」さんの実家跡『村田家顕彰碑』(豊北町滝部寺地)は、 JR滝部駅から豊北第一農園さん方面へ車で約5分。わかりやすく案内板も各所に設置されていますので、ぜひ一度お立ち寄りください。