此村末盛といえる奥に瀧あり、よつて瀧部と名付し由申伝へ候(『風土注進案』先大津宰判 第十三瀧部村)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅豊北は雨模様。今日と明日は10時から、唐戸カモンワーフから、わらび餅の専門店、甘味処 鎌倉さんが、新春セット(1000円)で出店されます。限定100個、お早めに!
此村(このむら)末盛(すえもり)といえる奥に瀧(たき)あり、よつて瀧部(たきべ)と名付し由(よし)申伝(もうしつた)へ候(そうろう)(『風土注進案』先大津宰判 第十三瀧部村)
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この村は、末盛(末森)というところの奥に、滝があります。そのことによって「滝部」と名付けたという話が、言い伝えられております。
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今回の冒頭は、江戸時代に編纂された長州(萩)藩の地誌『風土注進案』から、豊北町滝部の地名のお話の部分。19世紀前半、天保改革の一環として、地誌編纂のため、藩内全域の町や村から地域情報を提出させました。それをまとめたものが『風土注進案』として、今に伝わっています。
江戸時代の山口県は、毛利家が藩主として支配していました。豊北町域では、阿川・滝部・神田・神玉などに萩藩の領地があり、粟野・田耕・角島・北宇賀などは長府藩の領地でした。萩藩は、領地を「宰判(さいばん)」という単位で分けていて、豊北町域は「先大津(さきおおつ)宰判」に入っていました。同じく長府藩による地誌は、『豊浦藩村浦明細書』です。
とはいえ、末森の奥に滝があるとは、聞いたことがないのですが、江戸時代の人も同じことを思ったらしく。
〇評に曰、田耕(たすき)にしら瀧といえる名にあふ景地あり、風なき夜半には瀧の響きの聞へける邊りなるゆへ、瀧邊(たきべ)と名付たるならんと人のかたりけるかさもあらんか
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詳しい者が言うには、隣の田耕に「しら瀧」という名前の通りの美しい滝があり、風のない夜には滝の響きが聞こえるあたりなので、滝辺(滝部)と名付けたのだろうと、語る人がいますが、その通りでしょう。
…いえ、末森に滝がないのはそうなんですが、いくら静かな夜でも、白滝山の滝の音が滝部に聞こえるというのも無理があるかと(^^;
ただ今、道の駅豊北から車で約10分、豊北町滝部にある下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館」では、企画展「豊北の食卓-四季を彩る食の民具-」を開催中。食器を中心とした食にまつわる昔の道具にスポットを当て、四季折々の食卓を再現して紹介されています。
一目見ただけでは使い方のわからない、不思議な道具もあり、豊北町で食べられていた料理も紹介されているとか。昔なつかしい食卓を眼で楽しんだ後、甘味処鎌倉さん秘伝のわらび餅を味わってみてはいかがでしょう(^o^)
太翔館 企画展「豊北の食卓-四季を彩る食の民具-」
- 2023年1月22日(日)まで
- 9:00~17:00(入館は16:30まで)
- 月曜休館
- 入館無料
- 山口県下関市豊北町滝部3153-1
- 電話:083-782-1651