阿閉臣国見 更名磯特牛。 (『日本書紀』巻十四 雄略天皇三年夏四月条)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは快晴。ドライブ日和です!
今日2023年4月23日(日)は、道の駅ほうほくがある下関市豊北町を含む、衆議院山口四区補欠選挙の投票日です。20時まで投票できます。投票は、国民の権利であり義務。地元のみなさま、投票へ行きましょう!
豊北町域では、投票所無料送迎バス・送迎車も運行されます。午前便はほぼ終わってますが、午後便もあり。利用して、投票所へ!
前回のブログ当番時、「特牛」の漢字は千年前から「コトヒ(コトイ)」と読まれているお話を書いたら、みなさま興味をもってくださったようなので、調子にのって第二弾☆
阿閉臣国見 更名磯特牛。 (『日本書紀』巻十四 雄略天皇三年夏四月条)
↓
阿閉臣国見(あへ の おみ くにみ) 更(また)の名は磯特牛(しことひ)。 (『日本書紀』巻十四 雄略天皇三年夏四月条)
↓
阿閉臣国見(あへ の おみ くにみ)という人がいた。 別名は磯特牛(しことひ/しことい)である。 (『日本書紀』巻十四 雄略天皇三年夏四月条)
今回の冒頭は『日本書紀』から。『日本書紀』は720年(養老4)年に成立した、日本で初めての公的な歴史書。古くは『日本紀』とも言い、神代の時代から持統(じとう)天皇の代までを、編年体(へんねんたい)で記しています。
昔の、年号がなかった時代のことは、天皇の治世何年という書き方がされています。なので、「雄略(ゆうりゃく)天皇三年夏四月条」とは、雄略天皇が即位して三年目のこと。当時は旧暦なので、春が一月~三月、夏が四月~六月、秋が七月~九月、冬が十月~十二月でした。
その時代に、阿閉臣国見(あへのおみくにみ)、別名を磯特牛(しことい)という人がいて、あるスキャンダルを起こします。というか、スキャンダルをばらまきます。悪役…(^^;
当時、天皇の代替わりごとに一人、天皇家の若い女性が巫女として選ばれ、伊勢国(三重県)の神社(伊勢神宮)で、神様に仕えていました。この時は、栲幡皇女(たくはたのひめみこ)。巫女として神に仕えている彼女が、身籠ったというスキャンダルを流布したのが、阿閉臣国見つまり磯特牛でした。
相手とされた男はスキャンダルを恐れる父親に殺され、噂の的になった皇女は自害。屍を調べると身籠ってはおらず、冤罪だったと判明しました。磯特牛は男の父親に殺されそうになり、逃げ出しますが、その後は不明。なんともすっきりしない事件です…。
手元の『国史大系 日本書紀 巻上』(吉川弘文館)では、この「磯特牛」には、「シコトヒ」というカタカナのルビがふられています。とはいえ、『日本書紀』編纂の時代にはまだカタナカが無く、後世につけられたものでしょう。
だから、奈良時代に「磯特牛」を「しことい」と読んでいたとは限りません。でも、読んでいたかもしれません。
地名の「特牛」と直接の関係はありませんが、人(悪役)の名前(の一部)としてでも「特牛」の字があるので、興味をお持ちの方は、『日本書紀』をちょっとめくってみてくださいね(^o^)/
今日の道の駅ほうほくは、特牛産の魚介が豊富に並んでいます。投票を終えたら、ぜひお越しください!