可憐児女説先皇 幾隊紅粧幾瓣香 簪笏満前人不見 金釵猶作鷺鵷行(頼山陽「戯作赤関竹枝八首」/『山陽詩鈔』)
おはようございます。山田です。今朝の道の駅ほうほくは曇り。ありがたいことに、朝からたくさんのお客様にお越しいただいています。お買い物はお早めに!
今日5/4みどりの日、道の駅ほうほくでは、10時~15時、小学生以下のお子様を対象に、水ヨーヨーつりを開催します。参加無料。
今年2023年のゴールデンウィーク、下関市の三大まつりのひとつ、しものせき海峡まつりが4年ぶりに開催中。昨日は赤間神宮(あかまじんぐう)先帝祭(せんていさい)の本殿祭と、上臈参拝(じょうろうさんぱい)も行われました。友人から画像をもらったので、ご紹介します☆
1185(元暦2/寿永4)年3月24日、関門海峡を舞台に行われた源平最後の戦い、壇ノ浦(だんのうら)合戦。敗れた平家が擁する8歳の幼帝・安徳天皇は、祖母である二位の尼(にいのあま)・平時子(たいらのときこ)に抱かれて入水しました。
この安徳天皇を弔うため、関門海峡に面して建立された阿弥陀寺が、明治維新によって赤間神宮という神社になりました。赤間神宮の御祭神である、安徳天皇(あんとくてんのう)の御命日(旧暦)3月24日を現在の暦に当てはめて、毎年5月2日~4日の3日間、行われます。
5月3日の上臈参拝は、安徳天皇に仕えた平家の女官の末裔との伝承を持つ、下関の遊郭の女性たちが、盛装して御命日に参拝していたもの。現在では、舞踊協会など時代衣装を着こなせる女性が選ばれて、一番太夫(振袖太夫)から五番太夫(傘留太夫)まで五名が、禿(かむろ)などを連れてお参りします。
外八文字と言う独特の歩き方で、赤間神宮境内の天橋を渡る姿は、華やかな衣装とあいまって、下関のお祭りを象徴するものです。
可憐児女説先皇 幾隊紅粧幾瓣香 簪笏満前人不見 金釵猶作鷺鵷行(頼山陽「戯作赤関竹枝八首」/『山陽詩鈔』)
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憐(あわ)れむ可(べ)し児女(じじょ)先皇(せんこう)を説く。幾隊(いくたい)の紅粧(こうしょう)幾瓣香(いくはんこう)。 簪笏(しんこう)前に満ちし人見えず。 金釵(きんさ)猶(なお)鷺鵷(ろえん)の行(こう)を作(な)す。(頼山陽「戯れに赤関(せきかん)竹枝(ちくし)を作る八首」/『山陽詩鈔』)
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悲しいことよ、女たちが語る安徳天皇の物語は。きらびやかに化粧した女が、幾人も安徳天皇に香を手向けて弔っている。本来居ならぶべき貴族たちの姿はなく、金のかんざしをつけた女たちが整然と列をなしている。
今回の冒頭は、江戸時代の詩人・頼山陽(らいさんよう)の『山陽詩鈔(さんようししょう)』から。九州方面へ旅をしていた頼山陽は、下関に滞在中、ちょうど行われた先帝祭(当時は仏教寺院の行事)をテーマに漢詩を詠みました。
タイトルの「赤関(せきかん)」は、下関の旧称「赤間関(あかまがせき)」のこと。「竹枝(ちくし)」は、男女の情や土地の風俗などを詠ずるもの。先帝祭の上臈参拝は、壇ノ浦合戦後、下関に残った平家の女官たちが、安徳天皇を弔うため御命日に参拝、香華(こうげ)を手向けたという伝承によります。
江戸時代、港町として栄えた下関の遊郭「稲荷町(いなりまち)」で働く女性たちは、平家の女官の末裔とされ、京都の島原や江戸の吉原に次ぐ格を与えられていました。それでも、本来なら身分の高い貴族たちに取り巻かれていたはずの安徳天皇が、今は遊郭の女性たちの拝礼を受けていることに、『平家物語』がいうところの「諸行無常」を感じたのでしょうか。
海峡まつりでは他に、鎧兜に身を固めた若者たちの「武者行列」や、関門海峡に船を出しての「源平船合戦」などもあります。一方、道の駅ほうほくのご近所、角島では昨日、恵比寿まつりの海上パレードが行われました。
角島大橋を背景に、大漁旗が風を受けて翻ります。今年もお魚がたくさん取れますように!
そして、道の駅ほうほくから車で10分の、豊北町滝部にある下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館」では、ゴールデンウィーク期間中、珍しい鯨の鯉のぼりを展示しています。
また、あわせて江戸時代の鎧兜を展示中。もとの持ち主の小笠原家は、長府藩士の家。当世具足は、室町時代頃に登場した鎧兜で、大鎧に比べると軽くて動きやすくなっています。胴は亀甲模様、兜の前立は日輪を模しており、紐は籠手まで黄色で統一されていて、とてもおしゃれですね!
太翔館1階和室では、端午の節句に因んで、五月人形「若大将飾」の展示も行っています。赤糸縅の大鎧と比べてみるのも一興かと。
◆太翔館 特別展示「伝小笠原家甲冑」ほか
- 2023年5月7日(日)まで
- 9:00~17:00(入館は16:30まで)
- 月曜休館(祝日は開館)
- 入館無料
- 山口県下関市豊北町滝部3153-1
- 電話:083-782-1651