本邦の大敷網は元和年間この地に渕源せる湯玉敷を祖型となす(宮城雄太郎撰『日本大敷網漁業発祥之地』碑文)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは快晴。お出かけ日和な日曜日、たくさんのお越しをお待ちしています!
道の駅から車で約10分、下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館(たいしょうかん)」では、下関の漁撈調査報告展『大敷網の伝播と変化(おおしきあみのでんぱとへんか)』を開催中。8/27(日)まで。
「大敷網(おおしきあみ)」は、魚を垣網(かきあみ)によって誘導し、あらかじめ設置していた袋網(ふくろあみ)の中に追い込んで捕る、定置網(ていちあみ)のこと。江戸時代,沿岸漁業の発達とともに普及したこの漁法、豊北町のすぐお隣の豊浦町湯玉(ゆたま)が発祥の地なのです!
本邦の大敷網は元和年間この地に渕源せる湯玉敷を祖型となす(宮城雄太郎撰『日本大敷網漁業発祥之地』碑文)
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我が国の大敷網は元和(げんな)年間(1615-1624)、この地(山口県下関市豊浦町宇賀湯玉)で使われ始めた湯玉敷をもともとの形とする。
今回の冒頭は、道の駅から車で約15分、湯玉浦に立つ「日本大敷網発祥之地」の記念碑から。先日、湯玉漁港まで見に行って来ました。湯玉漁港の北側にあります。石碑は昭和37(1962)年、撰文は漁業制度調査会委員の宮城雄太郎、揮毫は三隅(山口県長門市)出身の農林水産大臣・周東英雄。
大敷網については、これまで主に、九州西海地域から西南方面への伝播が調査されてきました。今回の展示では、山口県萩市江崎、島根県出雲市など、日本海側を北上したルートを調査して報告しています。
海を越えて大敷網のしかけを教えに行った、湯玉の人々に関する証言。昔もこうして、地域を超えた交流が行われていたのですね。そして展示ではなんと、100分の1スケールで湯玉式大敷網の再現も。海に潜らなければできない、網に追い込まれる魚の気分が味わえます☆
建物じたいが山口県指定文化財の太翔館は、大正13年(1924)に建造された旧滝部小学校。ルネサンス様式の石造建築を木造建築に取り入れた構造で、鳳凰が両翼を広げたような美しいたたずまいは、大正期の代表的な学校建築です。現在、田上菊舎展も開催中。ぜひお立ち寄りください!
大敷網で捕っていた魚は、沿岸を回遊するブリ、イワシ、サバなど。道の駅ほうほくの売店ほうほく夢市場・鮮魚コーナーでも、取り扱っています。ぜひ食べてみてください☆
道の駅ほうほくの出店・小駅では、イワシ唐揚げも販売しております。歯ごたえのあるイワシが香ばしく揚がっているので、お子様にも人気、大人はお飲み物が進みます。こちらもぜひ!
下関駅~唐戸周辺では、昨日今日と、馬関まつり開催中。ステージパフォーマンスや出店もたくさんあり、17時半からは、下関駅前の国道9号線上で、平家踊(へいけおどり)総踊り大会が行われます(車両進入禁止)。ご都合がつくなら、ぜひお楽しみくださいね!
下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館」下関の漁撈調査報告展『大敷網の伝播と変化』
- ・2023年6月6日(火)~8月27日(日)9:00~17:00
- ・山口県下関市豊北町滝部3153-1
- ・入館無料
- ・月曜休館
- ・電話:083-782-0651