曼殊沙華咲いてここがわたしの寝るところ(種田山頭火/『草木塔』1940年)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは、曇っていましたが、だんだん晴れてきました。昨日は激しい風雨でしたが、今日はお出かけしやすいお天気。たんぼの脇の曼殊沙華(まんじゅしゃげ)、別名は彼岸花(ひがんばな)も、きれいに赤く咲いています。
道の駅ほうほくには、地元豊北町で収穫された新米が登場しています。ただいま収穫最盛期!
他にも、豊北町産の梨をはじめ、栗やぎんなんといった秋の味覚が続々登場中。今日は北海道から、秋の味覚の代表さんまも届いています。ぜひ道の駅ほうほくに、秋を堪能しにきてくださいね。
さて今日は、道の駅からほど近いホテル西長門リゾートで、地元の下関北高校の生徒さんによるビーチクリーンが行われました。テレビや新聞の取材もあったそうで、今夜か明日にはニュースに登場することでしょう。お楽しみに!
一方、道の駅ほうほくには、J:COMチャンネル下関のモルック広め隊さんが、宣伝を兼ねて挑戦に来られました。モルックとは、フィンランド生まれのニュースポーツ。棒を投げて棒を倒してポイントを重ねていくイメージで、一見単純だけど奥が深いです。
J:COMチャンネル「モルックしませんか!?」、道の駅ほうほくは、10/1から半月ほどの登場となります。YouTubeでも見られます。勝負の行方を、ぜひご覧ください☆
曼殊沙華咲いてここがわたしの寝るところ(種田山頭火/『草木塔』)
今回の冒頭は、種田山頭火(たねださんとうか:1882~1940)の句集『草木塔(そうもくとう)』から。山頭火が七つの句集を集成した、一代句集です。
この句は三章「行乞途上」の末尾にあり、詞書には「昭和七年九月二十日、私は故郷のほとりに私の其中庵を見つけて、そこに移り住むことが出来たのである。」とあります。この句を含めた文章は「昭和八年十月十五日、其中庵にて 山頭火」と添えられていて、作句は昭和7(1932)年か昭和8(1933)年の秋でしょう。
其中庵(ごちゅうあん)は、山頭火が最も長く落ち着いた庵で、昭和7年から13年まで住んでいました。其中庵の名は、仏教経典である『法華経(ほけきょう)』の「普門品(ふもんぼん)」にある「其中一人作是証言(ごちゅういちにんさくぜしょうげん)」という語から。平成4(1992)年、山口市小郡に復元され、公園として整備されています。
種田山頭火は、山口県西佐波令村(防府市)出身の、放浪の俳人。五・七・五にこだわらない自由なリズムの俳句「自由律俳句」の、代表的存在。道の駅ほうほくから車で約30分間の、下関市豊浦町にある川棚温泉を愛したことでも知られます。道端の曼殊沙華を眺めて、放浪の俳人の句を口ずさんでみるのもいいですよ☆