道の駅 北浦街道ほうほく For Foreign Tourists

今月の営業時間

売店・・・・・・・・・・・・・8:30~18:00

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スタッフブログ 2024.01.02

楽しきを積め

新しき  年のはじめに  かくしこそ  千歳をかねて  楽しきをつめ(読人不知/『古今和歌集』第20巻1069番)

 

本宮中山神社 山口県下関市豊北町田耕

 

こんにちは。山田です。2024年1月2日、今朝の道の駅ほうほくは晴れ。気持ちの良い朝でした。本日も10時開店です。閉店は冬期通常通り17時。明日からは8時半開店となります。

 

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町

 

昨日に引き続き、お楽しみ福袋販売中。また本日は、2000円以上のお買い物レシートでお1人様一回挑戦できる、新春運試しサイコロチャレンジも開催。ぜひお越しください!

 

本宮中山神社 山口県下関市豊北町田耕

 

道の駅から車で約20分、下関市豊北町田耕にある本宮中山神社(ほんぐうなかやまじんじゃ)へ初詣に行きました。2024年の今年は、ご祭神の中山忠光の没後160年にあたります。

中山忠光は、幕末に活躍した尊王攘夷(そんのうじょうい)派の公卿(くぎょう:朝廷の貴族)。姉・中山慶子が明治天皇の生母で、中山忠光は明治天皇の叔父にあたります。

江戸時代末の文久3(1863)年、19歳の時、地位を捨てて長州藩(山口県)へ下り、下関攘夷戦争に参加。8月大和国(やまとのくに:現在の奈良県)で「皇軍御先鋒(こうぐんごせんぽう)」として天誅組(てんちゅうぐみ)の変を起こします。

 

本宮中山神社 山口県下関市豊北町田耕

 

しかし、幕府軍の追討を受け、9月末に天誅組は壊滅。中山忠光は大阪の長州藩邸から舟で長州へ逃れ、長府藩領に匿われました。豊浦郡内を転々として一年余り後、第一次長州征伐の動乱の中、元治元(1864)年11月、田耕村(山口県下関市豊北町田耕)で暗殺されました。享年二十歳(満19歳)。

遭難の地には石碑が建てられていましたが、没後百年の昭和38(1963)年、田耕村民により本宮中山神社が建立されました。激動の幕末を駆け抜けて、豊北町で亡くなった若者を偲ぶ場所です。ぜひお出かけください☆

 

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町

 

新しき  年のはじめに  かくしこそ  千歳をかねて  楽しきをつめ(読人不知/『古今和歌集』第20巻1069番)

新しき  年のはじめ(初め)に  かくしこそ  千歳(ちとせ)をかねて  楽しきをつめ(積め)(読人不知/『古今和歌集』第20巻1069番)

新しい年のはじまりにあたっては、このように、千年の月日を重ねて、楽しいことを積み重ねよう。

 

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町

 

今回の冒頭は、平安時代前期の勅撰和歌集『古今和歌集』から。詞書(ことばがき)には「おほなおびのうた」とあり、「大直毘神(おほなほびのかみ/おおなおびのかみ)」で、穢れを払う神。

日本神話において、死の国である黄泉国(よもつくに)から戻ったイザナギ神は、黄泉のケガレを清めるために禊(みそぎ)を行います。その時、穢れによって生まれた二神に続き、その禍を直そうとして成った三神の一柱が、大直毘神。他は神直毘神(かむなおびのかみ)・伊豆能売(いずのめ)です。

「かくしこそ」は「かくこそ」に強調の副助詞「し」が入ったもので、「かねて」は「予ねて」で通常なら「千歳をかねて」は「千年前から」のような意味になります。「つめ」は「へめ(経め)」という説もありますが、語感や意味としては「積め」の方が好み。

 

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町

 

道の駅ほうほく、いろんな商品を積み重ねて、皆様のお越しをお待ちしております。明日1/3は紅白餅の振舞いもあるので、ぜひお越しください!