特牛港の和田栄太郎翁之碑とコルトーホールの湯浅倉平展
皆さんの御手紙を見ますと皆さんは一生懸命に勉強し偉い人に為ると云う考えをふるい起された様で大変によい事と思いました。どうぞ勉強して偉い人に為って下さい。(湯浅倉平「故郷のこどもたちへ」/下関市烏山民俗資料館・湯浅倉平生誕150年記念企画展『湯浅倉平と故郷の人びと―受け継がれる想い―』2024年)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは快晴、お出かけ日和です。予報では夕方から曇り、明日は雨。お出かけはお早めに!
今日は、道の駅ほうほくのご近所、豊北生涯学習センターで、10時~13時、元気ファミリーフェスタ開催。展望テラスから見て「あの黒い建物は何ですか」と、よく聞かれるあそこ。ほっくんも登場します☆
皆さんの御手紙を見ますと皆さんは一生懸命に勉強し偉い人に為ると云う考えをふるい起された様で大変によい事と思いました。どうぞ勉強して偉い人に為って下さい。偉い人と云っても役人ばかりが偉いという訳では決してありません。宗教家でも書家でも大工でも左官でも正しい職業であれば何でもよいのです。篤農家と為って地方の農家を改良して穀物や野菜を沢山とる様にする人も偉い人です。御国の為になる人、世の為になる人は皆偉い人です。(湯浅倉平「故郷のこどもたちへ」/下関市烏山民俗資料館・湯浅倉平生誕150年記念企画展『湯浅倉平と故郷の人びと―受け継がれる想い―』2024年)
今回の冒頭は、道の駅ほうほくから車で約30分、川棚温泉にある川棚の杜コルトーホール・烏山民俗資料館で開催中の湯浅倉平生誕150年記念企画展『湯浅倉平と故郷の人びと―受け継がれる想い―』で展示されている、湯浅倉平から宇賀小学校の子どもたちへ送られた手紙から。
湯浅倉平は宇賀村(現在の山口県下関市豊浦町宇賀)出身、大正から昭和にかけて警視総監、宮内大臣(くないだいじん)、内大臣(ないだいじん)などを歴任した官僚・政治家です。展示されている手紙は、昭和8(1833)年、60歳で宮内大臣に任命された際、出身地の宇賀小学校の児童からお祝いの手紙をもらったことに対するお礼。
企画展『湯浅倉平と故郷の人びと―受け継がれる想い―』では、勲章や昭和天皇から下賜された釣り竿、宮中でまとった衣服などが展示され、湯浅倉平の生涯を辿ることができます。赤十字やスウェーデンからもらった勲章や、大正・昭和天皇の即位礼に関わったゆかりの品がなど、珍しいものがいろいろ。展示は7月7日まで、入館無料です。ぜひご覧ください。
宇賀湯玉在の生誕地には、昭和9(1934)年に建てられた記念碑があります。今も地元の人が手入れし、毎年5月1日にお祭りをしているとか。詳しい場所は烏山民俗資料館で教えてもらえるので、こちらもぜひ。
記念碑と言えば、道の駅ほうほくの近く、特牛(こっとい)港の入り口にある蛭子(えびす)神社の隣に「和田栄太郎翁之碑」があります。大正時代、特牛地区に水道を整えることに尽力した、記念碑です。
和田栄太郎(わだえいたろう:1855-1929)は神田下村(かんだしもむら)特牛、現在の山口県下関市豊北町神田特牛生まれ。神田下村の村会議員、豊浦郡の軍会議員、特牛漁業組合長などを歴任。
特牛港は江戸時代から知られる港で、大きな漁船団が入港することもあり栄えていましたが、大正初期には井戸が十数本しかなく、地元の人々は苦労していたようです。和田栄太郎は水源地を提供して資金を寄付し、自宅を事務所として特牛に簡易水道を開きました。
和田栄太郎の活動を嚆矢として、大正10(1921)年に水道増設工事が計画され、3年かけて鉄管による水道が完成。昭和6(1931)年に改良されて漁船への給水や製氷工場にも利用され、特牛の人々を大いに助けました。
特牛の人々は水道にまつわる和田栄太郎の功績を偲び、港の入り口、蛭子神社の隣に記念碑を建てたのです。現在の私たちの水に不自由しない日常は、地域の先人たちが作り出してくれたもの。特牛港のはしっこにあるので、近くを通る時は、ちょっと寄ってみてください。
GW期間中、吉本興業・山口県住みます芸人どさけんさんが、道の駅ほうほくで監修したたまごかけラーメン「たまごかけレボリューション」の宣伝に来られました。私も作って食べてみましたが、簡単においしいたまごかけラーメンができました☆
トッピングは何でも可とのことだったので、野菜炒めのほか、道の駅ほうほくで扱いのある粟野川産の青海苔をのせてみたら、なかなか良い感じに。たまごかけレボリューション、ぜひ食べてみてください!