古代・中世の土井ヶ浜と山口ゆらめき回廊と梨
菓即上林苑之所献 含自消 酒是下若村之所伝 傾甚美(大江朝綱「早春侍内宴同賦晴添草樹詩序」/『和漢朗詠集』巻下486番)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほく、雲の合間から青空が覗いています。朝夕が涼しく、過ごしやすくなりました。
道の駅ほうほくから車ですぐの、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム企画展『出土遺物が語る古代・中世の土井ヶ浜』に行きました。2024年12月8日まで、一般200円、大学生等100円、高校生以下無料、月曜休館。
土井ヶ浜遺跡は、今から約2000年前、弥生時代の集団墓地遺跡。300体以上の弥生人骨が出土して、国の史跡に指定されています。しかし当然ながら、弥生時代だけで人々の暮らしが終わったわけではなく、現代までずっと人は住んできました。今回の展示では、土井ヶ浜地域の古代・中世の出土遺物を取り上げて、古代や中世の土井ヶ浜がどんな場所だったかを考えています。
古墳時代の豊北町域では、前方後円墳は発見されておらず、響灘に面した丘陵に円墳が点在。このことから、海上交通を掌握した小首長がいたと考えられています。古墳からは金属の耳環(じかん)が出土しており、このあたりの古代の人々は、イヤリングをしていたわけですね!
日本の古代、奈良・平安時代は律令国家で、官僚が法律に基づいて行政を行っていました。宮ノ下遺跡や河原田遺跡からは、衣服のベルトに使う帯金具、物の重さをはかる錘である権、文章を書く道具である硯などが出土しています。これらの遺物はそういった地方官人や、在地の有力者の姿を思わせます。
中世になると、武力を持った地方勢力つまり武士が台頭しはじめます。この土井ヶ浜地域からは、輸入陶磁器がまとまって出土したり、有力者の墓の副葬品とされたりしています。京都で作られた和鏡や、呪術的な意味があると思われる鳥形木製品など、当時の人々の信仰をうかがわせるものも。
唐銭・宋銭の銅銭も出土していて、当時の貨幣経済の中にあったこともわかります。土井ヶ浜は、博多を中心に展開された、海外交易の品が流通する一端を担っていたかもしれません。
時代が変わっても、広い海岸線を有する土井ヶ浜が、外に向けて開かれた地域であることは変わりません。長い時代を通じて、いろんな人が行き来していたことでしょう。
土井ヶ浜ミュージアムでは、弥生時代の貫頭衣を着て撮影したり、人体模型の発掘体験もできます。ぜひご家族でお出かけください!
中世後半の室町時代、大内氏の時代には、響灘沿岸の港として、肥中(ひじゅう)が整備されます。道の駅ほうほくから車で約5分、豊北町神田肥中には、大内氏が本拠を置いた山口から街道が整備されていました。この肥中街道は、だいたい現代の国道435号に沿っています。
先週土曜、大内氏の築いた瑠璃光寺五重塔がある香山公園で開催された、キャンドルアート「山口ゆらめき回廊」に行きました。荒天で規模が縮小され、灯りは少な目でしたが、五重塔プロジェクションマッピング第二弾が始まっていました。
テーマは「四季」とのことで、五重塔を中心に山口の四季の彩が映されました。公園内にある枕流亭(ちんりゅうてい)横の東屋で、茶道裏千家淡交会山口青年部による「ゆらめきの灯り茶会」が開かれ、お茶をいただきました。ちょっと雅な気分☆
大内氏は国際的な活動が活発な、スケールの大きい大名。今回のお茶道具も、唐渡りだったり、久留子紋だったりと、大内氏のイメージを大切にしていました。
菓即上林苑之所献 含自消 酒是下若村之所伝 傾甚美 (大江朝綱「早春侍内宴同賦晴添草樹詩序」/『和漢朗詠集』巻下486番)
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菓(くだもの)は即(すなは)ち上林苑(じょうりんえん)の献ずる所 含めば自(おのずか)ら消えぬ 酒は是(こ)れ下若村(かじゃくそん)の伝へ(つたえ)たる所 傾(かたぶ)くれば甚(はなは)だ美なり(大江朝綱「早春の内宴に侍り同じく晴るれば草樹に添ふるを賦す詩序」/『和漢朗詠集』巻下486番)
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果物は上林苑から献上された果実のようで口に入れると自然ととろけ、酒は下若村から伝えられた美酒のようで盃を傾けるとたいそう美味である。
今回の冒頭は、藤原公任『和漢朗詠集』から、大江朝綱による「早春侍内宴同賦晴添草樹詩序」の一節。藤原公任(ふじわらのきんとう:966-1041)は平安時代中期の公卿。関白太政大臣・藤原頼忠(ふじわらのよりただ)の長男。藤原道長の同世代で、文人として知られます。
『和漢朗詠集(わかんろうえいしゅう)』は、藤原公任により編纂された和歌と漢詩の歌謡集。上下二巻。「和」は和歌、「漢」は漢詩のことで、朗詠に適した和歌216首、漢詩文の秀句588首の計804首を収めています。後世の文学作品には、この中から和歌や漢詩をそらんじている場面がたくさん登場します。
大江朝綱(おおえのあさつな:886-957)は、平安時代中期の文人。撰国史所別当(せんこくしどころべっとう)として『新国史』の編纂に携わり、漢詩に優れ、「後江相公(のちのごうしょうこう)」と呼ばれます。
タイトルに「早春の内宴に侍り」とあるので、正月に宮中で行われる宴で詠んだものでしょう。ただ、ここに登場する「上林苑(じょうりんえん)の献ずる」「菓(くだもの)」は、「梨(含消梨)」とされます。ということで、道の駅ほうほくで今が旬の、梨!
「上林苑」とは、秦の始皇帝が創設し、漢の武帝が増築した大庭園で、珍しい生き物を集めた植物園・動物園。口に含めばとろけるような梨…みずみずしい果実だったのでしょう。今の時期、道の駅ほうほくには、みずみずしい梨やブドウが並んでいます。人気なので、お早めに!
もちろん「傾ければはなはだ美」な、お酒もたくさんあります。秋の夜長にゆっくりお楽しみください☆