新メニュー「どしゃぶり丼」と「いちょう(銀杏)」の由来
銀杏、異名鴨脚(アフキャク)、葉形、如鴨脚(カモノアシ)(『下学集』)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは、快晴。お出かけ日和です。
本日12月1日、レストランわくわく亭では、冬季限定、1日20食限定の新メニュー「どしゃぶり丼」が登場☆
ご飯の上には、特製しょうゆダレに漬けた旬のブリをたっぷり。薬味や大根おろしで楽しんだ後は、熱々のだしを土砂降りのようにかけて、だし茶漬け風に味変!
どしゃぶり丼は、通常価格2,000円ですが、朝9時時点で気象注意報警報が発令されていたら、500円引きの1,500円になるのです(@o@)
そしてなんと、初日の今日から乾燥注意報が朝9時には発令☀
さっそく500円引き!
お天気が悪かったら、どしゃぶり丼を食べに、ぜひ道の駅ほうほくへ!
今朝、道の駅ほうほくから車で約15分、下関市豊北町粟野市ノ瀬にある、乃木大将思案之茶屋趾へ行きました。紅葉はまだ青いですが、銀杏(いちょう)が見頃を迎えていました。
「乃木大将思案之茶屋趾」は、滝部から粟野に抜ける県道39号線の途中、粟野峠を越えたところに、石碑があります。「乃木大将(のぎたいしょう)」とは、明治時代の軍人・乃木希典(のぎまれすけ:1849~1912)のこと。
1898(明治31)年、故郷の長府から出雲に向けて旅立った乃木将軍が粟野を通ると聞き、かつて乃木将軍の配下にいた粟野村の人々は、粟野峠で出迎えようとしました。しかし、各地で歓迎された乃木将軍の到着は遅れ、村人は夕方、解散してしまいます。
予定より遅れて粟野峠にさしかかった乃木将軍は、この地にあった茶屋で、村人が待っていたことを聞くと、しばし思案の末、引き返して滝部村に宿泊。翌日あらためて粟野村に入り、歓迎を受けました。この石碑は、そんな乃木将軍の気遣いを称えて、村人が建立し、今に至るまで守っています。
JR特牛(こっとい)駅にも行ってみました。こちらも、銀杏がそろそろ見頃です。「特牛」の読みが「こっとい」なのは不思議ですが、「銀杏」の読みが「いちょう」なのも不思議ですよね。「いちょう」には「銀杏」の他、「公孫樹」という書き方もあります。
日本の歴史で「銀杏」という言葉が登場するのは、室町時代の14世紀。奈良時代の『万葉集』や、平安時代の『古今和歌集』には、「銀杏」が存在しないので、その時代の日本にはなかったと考えられます。
室町時代の「銀杏」も、最初はフリガナがついていないので、読み方がわかりません。15世紀になると「イチャウ」というフリガナがつきはじめ、江戸時代の17世紀になると「イテフ」つまり「イチョウ」と読まれるようになりました。
銀杏、異名鴨脚(アフキャク)、葉形、如鴨脚(カモノアシ)(『下学集』)
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銀杏、別名は鴨脚(あふきゃく/おうきゃく)、葉のかたちは鴨(かも)の脚のようである。(『下学集』)
今回の冒頭は、室町時代の国語辞書『下学集(かがくしゅう)』から。文安元(1444)年成立、著者未詳。言葉を18種類の部門に分類し、用字・意味・語源を簡単に記したもの。フリガナをカタカナでつけ、漢文で意味を記しています。
鴨(かも)は鳥ですが、足指の間に水かきがついていて、色も黄色。言われてみればなるほど、銀杏の葉っぱはよく似てるかも。
『下学集』では、銀杏を「鴨脚」と書き、フリガナは「アフキャク」。現代中国語でも「鴨脚」は銀杏のことで、「ya jiao(ヤーチャオ)」と発音するそうです。銀杏が日本にやってきた時代の中国語の発音についてはもう少し研究が要るようですが、現在では、「イチョウ」の由来は「鴨脚」と考えられています。
道の駅ほうほくでは、銀杏の実も売っています。銀杏を20粒ほど茶封筒に入れ、しっかり封をして、端を一ヶ所カットして、電子レンジで1分。軽く塩をふって、でも食べすぎにはご注意ください。これからの季節にぜひ☆