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スタッフブログ 2025.02.06

土井ヶ浜ミュージアム「発掘調査の成果から浜出祭を考える」に行きました

又夷社アリ。コレ蒙古ノ大将ノ霊ヲ祭ル処ト云。コノ社、八年ニ一度ノ大祭アリ。長府采邑ヨリ人数ヲ出シ、甲冑ヲ帯シ、其備甚厳ニシテ、鰤魚切ノ式アリト云。コレ蒙古退治ノ遺風ナリト云。ミナ弘安年中蒙古襲来ノ時、コノ地ヘモ至リシ由ナリ。(山田公章『廻浦日記』弘化元年十一月十六日条)

 

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム企画展「発掘調査の成果から浜出祭を考える」 2025年5月18日まで 山口県下関市豊北町

 

こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほく、風は冷たいですが雲の間から青空が見えています。心配された雪も、今のところは大丈夫そうですが、雪雲が来ると一気に積もるという話も聞きます。今週いっぱいは気をつけましょう!

 

道の駅ほうほく 2025年2月6日 山口県下関市豊北町

 

先日、道の駅ほうほくから車で約5分、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの企画展「発掘調査の成果から浜出祭を考える」に行きました。浜出祭(はまいでさい)とは、豊北町で七年ごとに行われる大祭で、今年(2025)年4月6日(日)に行われます。

 

 

豊北町田耕(たすき)の厳島(いつくしま)神社と、豊北町神玉(かみたま)の蛭子(えびす)社という、2つの神社の合同祭礼。現在、厳島神社は田耕神社に、蛭子社は神功皇后神社に合祀されているので、この2つの神社が合同で行うお祭りです。

 

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム企画展「発掘調査の成果から浜出祭を考える」 2025年5月18日まで 山口県下関市豊北町

 

伝説によると、鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)の時、蒙古軍の一部が土井ヶ浜から上陸して合戦となり、厳島神社の神威により全滅させたものの、蒙古の祟りがあったので、鎮めるために浜出祭が始まりました。山側の田耕と海側の神玉、厳島神社の女神と蛭子社の男神など、相対するふたつのものが共に行う「陰陽和合の出合祭」として、山口県の無形民俗文化財に指定されています。

 

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム企画展「発掘調査の成果から浜出祭を考える」 2025年5月18日まで 山口県下関市豊北町

 

氏子たちが時代衣装を身にまとって行列を組み、3カ所から出発して豊北町滝部で合流し、ひとつの大行列となって土井ヶ浜まで練り歩き、浜に作られた「座(ざ)」で古式ゆかしい神事を行います。残念ながら、今回は行列は簡略化されて、浜での神事がメインとのこと。

 

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム企画展「発掘調査の成果から浜出祭を考える」 2025年5月18日まで 山口県下関市豊北町

 

浜出祭の中でも、人類学ミュージアムの駐車場で行われる座の行事について、詳しい解説がされています。また、土井ヶ浜近辺で行われた近年の発掘調査では、古代や中世の出土品も多数。その結果、豊北町にも古代日本の役所のような施設があったり、貿易に携わった人がいた可能性が出てきました!

 

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム企画展「発掘調査の成果から浜出祭を考える」 2025年5月18日まで 山口県下関市豊北町

 

ぜひ、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムで、古代中世の出土品を見て、浜出祭の伝説について考えてみてください。また、この企画展は、豊北町滝部の下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館」との合同開催。ぜひ太翔館の「浜出祭~絵巻でたどる浜出祭」にもお出かけを☆

 

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム企画展「発掘調査の成果から浜出祭を考える」 2025年5月18日まで 山口県下関市豊北町

 

又夷社アリ。コレ蒙古ノ大将ノ霊ヲ祭ル処ト云。コノ社、八年ニ一度ノ大祭アリ。長府采邑ヨリ人数ヲ出シ、甲冑ヲ帯シ、其備甚厳ニシテ、鰤魚切ノ式アリト云。コレ蒙古退治ノ遺風ナリト云。ミナ弘安年中蒙古襲来ノ時、コノ地ヘモ至リシ由ナリ。(山田公章『廻浦日記』弘化元年十一月十六日条)

(また)夷社(えびすしゃ)アリ。コレ蒙古大将ノ霊ヲ祭ル処(ところ)ト云(いう)。コノ社(やしろ)、八年ニ一度ノ大祭アリ。長府采邑(ちょうふさいゆう)ヨリ人数ヲ出シ、甲冑(かっちゅう)ヲ帯(たい)シ、其備(そのそなえ)(はななだ)厳(おごそか)ニシテ、鰤魚切(ぶりうおきり)ノ式アリト云(いう)。コレ蒙古退治ノ遺風(いふう)ナリト云(いう)。ミナ弘安年中蒙古襲来ノ時、コノ地ヘモ至リシ由(よし)ナリ。(山田公章『廻浦日記』弘化元年十一月十六日条)

また夷社がある。これは蒙古大将の霊を祭るところだという。この社には、八年に一度の大祭がある。長府藩領より人数を出して、甲冑を身につけ、その仕度は非常に厳かで、鰤を切る儀式があるという。これは蒙古を退治した名残りであるという。すべては弘安の役で蒙古が襲来した時、この地にもやって来たことに由来する。

 

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム企画展「発掘調査の成果から浜出祭を考える」 2025年5月18日まで 山口県下関市豊北町

 

今回の冒頭は、幕末長州藩の兵学者・山田公章(やまだきみあき:1809-1865)が、萩から下関にいたる北浦沿岸を巡回した際の日記『廻浦日記(かいほにっき)』から。山田亦介(やまだまたすけ)の通称でも知られ、吉田松陰の兵学の師匠であり、当時は異賊防御手当掛(いこくぼうぎょてあてがかり)という役職で、長州藩の防衛体制を担っていました。

 

土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム企画展「発掘調査の成果から浜出祭を考える」 2025年5月18日まで 山口県下関市豊北町

 

海防体制を視察する中で書かれた日記ですが、リアルな地域情報も書かれています。土井ヶ浜の夷社を見て、浜出祭の由来を地元の人に聞いたのでしょう。「長府采邑(ちょうふさいゆう)」は田耕(たすき)地区のことで、江戸時代には、山田公章が属した萩藩とは別の、長府藩の領地でした。

田耕から土井ヶ浜まで、車なら20分で着きますが、歩くとなると大変です。昔の人は健脚ですね!

 

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町

 

道の駅ほうほくには、神玉産のレンコンやキャベツが並んでいます。土井ヶ浜のお祭に思いを馳せつつ、ぜひどうぞ☆

 

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町