咲きはじめた本宮中山神社の梅と粟野出身・木村たいぞう下関凱旋LIVE
散りぬとも 香をだに残せ 梅の花 恋しき時の 思ひ出にせむ(読人不知/『古今和歌集』第1巻48番)

本宮中山神社 2026年2月18日 山口県下関市豊北町田耕
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは雲がありますが晴れ。今日も展望テラスから絶景が望めます!

月末の2月28日(土)17時~、下関市民会館にて、道の駅ほうほくのステージイベントでおなじみの、豊北町粟野出身の、ものまね芸人・木村たいぞうさんが、下関凱旋ものまねLIVEを行います。チケット3000円、全席指定。木村たいぞう凱旋LIVE実行委員会主催。
お問い合わせは事務局(カモンFM内083-223-3737)まで。チケット取り扱いは、下関市民会館・下関生涯学習プラザ・カモンエフエムです。ぜひお出かけください!

本宮中山神社 2026年2月18日 山口県下関市豊北町田耕
ここのところの陽気で、豊北町の道端では梅が咲きはじめているので、道の駅ほうほくから車で約15分、豊北町田耕の本宮中山神社(ほんぐうなかやまじんじゃ)の梅を見に行きました。山陰のせいか、まだこれからと言ったところ。
本宮中山神社は、参道がわりの道端に薄紅色の梅の木が3本、境内に白梅1本。決して多くはありませんが、盛りを迎えるとなかなかの見ごたえなので、これからが楽しみです。

本宮中山神社 2026年2月18日 山口県下関市豊北町田耕
本宮中山神社の御祭神・中山忠光(なかやまただみつ:1845~1864)は、幕末の京都に藤原氏の一門として生まれました。父は後の大納言・中山忠能、姉の孝明天皇典侍・慶子は明治天皇の生母。中山忠光は、明治天皇の叔父にあたります。
侍従として朝廷に仕えていましたが、尊王攘夷の志やみがたく、文久3(1863)年3月に官位を捨てて長州(山口県)へ出奔、5月の下関攘夷戦争に参加。上京して8月17日、幕府方の大和国五條(奈良県五條市)代官所を襲撃し挙兵した天誅組(てんちゅうぐみ)の主将となります。

本宮中山神社 2026年2月18日 山口県下関市豊北町田耕
しかし幕府軍の追討を受け、天誅組は9月末の鷲家口(わしかぐち)の戦いで壊滅。長州へ逃れた中山忠光は長府藩に匿われ、豊浦郡(下関市域)を転々とし、翌元治元(1864)年11月、田耕村(下関市豊北町)で暗殺されました。享年20歳。

本宮中山神社 2026年2月18日 山口県下関市豊北町田耕
暗殺は長府藩によるとされますが、詳細は不明。遺骸はひそかに運ばれ、綾羅木浜(下関市綾羅木)で埋葬されました。翌慶応元(1865)年に墓碑と社が建立され、綾羅木の中山神社となります。暗殺の地・田耕には、石碑が立てられ祭られていましたが、昭和38(1963)年、百年祭を機に本宮中山神社が建立されました。

本宮中山神社 2026年2月18日 山口県下関市豊北町田耕
散りぬとも 香をだに残せ 梅の花 恋しき時の 思ひ出にせむ(読人不知/『古今和歌集』第1巻48番)
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散りぬとも 香(か)をだに残せ 梅の花 恋しき時の 思ひ出(おもいで)にせむ(せん)(読人不知/『古今和歌集』第1巻48番)
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散ったとしても香だけでも残してくれたら、梅の花よ、恋しい時に思い出すことができるのに。

本宮中山神社 2026年2月18日 山口県下関市豊北町田耕
今回の冒頭は、平安時代前期に編纂された、最初の勅撰和歌集『古今和歌集』から。「読人不知(よみびとしらず)」とは、誰が詠んだかわからないということ。
この和歌は、たとえ花が散った後でも、香りだけでも残してくれたら、それを手掛かりに花を思い出すことができるのにという、香りが強い梅の花愛する心を詠んだ和歌です。同時に、失くした恋の思い出が何か欲しいという、未練を読んだ和歌でもあります。

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町
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