皆さま
こんにちは★菊地です!
岩手の出張から戻り初のblogです。
2月24日から事務スタッフの中野と共に岩手県沿岸部の被災地へ行ってまいりました。
1年ぶりの故郷を訪れ、感じたことは一言では言い表せないほどたくさんあります。
ただ
今回も前回と変わらず、いや、前回にも増して心に響き脳裏に焼きついているのは、被災地の皆さまの純粋無垢な笑顔と、涙、そして感謝の言葉。
『ありがとう』
『ありがとう』
その繰り返しなんです。
私は『ありがとう』という言葉が大好きです。感謝し、感謝し合う。東北被災地の皆さまは本当に純粋に全てを真っすぐ見つめ本心でそう言葉に表現してくださいます。
その時の人の眼差しには本当に心打たれます。涙を流しながら心から感謝し、そして目の前の現実と共に戦いながら毎日を生きています。
被災地の皆さまをもし色に例えるとしたら・・・汚れのない純白。そしてその中に凛とした強い美しいさを感じます。
目の前で全てをいっぺんに奪われても、またその自然の中で感謝し生きようとする。
被災地の皆さまは神さまです。
今回岩手出張へも同行しましたスタッフの中野も昨日のblogにて伝えているように震災から2年が過ぎようとしていますが未だに足踏み状態の被災地。
復興はまだまだこれからなのです。
左の写真は実家の近所に住んでいたおじちゃんとの再会の時のもの。
震災後の津波襲来の時は車に乗っていて津波にさらわれたのですが、どうにか脱出し奇跡的に助かったおじちゃん。
震災前は回覧板を回しに行く時に挨拶する程度で、上の写真のように寄り添うことはもちろんありませんでした。
私自身、自分の行動に驚くのですが、寄り添い、歩み寄る・・・お互いの温もりを感じることは自然の行動ということ。
そしてその温もりは本当に大切でありがたいということ。
被災地の皆さまを目の前にすると自然に写真のように自然と密着してしまうんです。
本当に愛おしくて愛おしくて抱きついてしまうんです。
生きていてくれてありがとう。
がんばっていてくれてありがとう。
全てのありがとうの気持ちがこういった行動を自然と生み出してくれます。
今回企画しておりますパネル展にて、被災地の現状や被災者の皆さまのことを少しでも身近に感じていただけますよう、準備を進めております。皆さまのアクションの1つ1つが大きな支援に繋がります。
被災地復興はまだ始まったばかり。
時折くたびれそうな心を軌道修正しながら必死で前に進んでいる被災者の皆さまには本当に頭がさがります。
再び3月11日を迎える心境は複雑です。
2年前のあの時に・・・と考えると『わーっ!』と、突然泣きたくなってしまいます。しかし被災地の皆さまはそれよりもっと思いが強いのです。
私の実家は流されましたが、ただそれだけ。流されただけです。
もっともっと辛い人は大勢います。
私は泣いてなんかいられません。私は元気に笑顔でいないと被災地の皆さまに申し訳が立ちません。
宮古市には両親と妹を津波で失いましたが生き残り、今も家族の無事を信じながら精一杯生きている女の子がいます。
昆愛海ちゃん。
こんなに幼い女の子が毎日家族の無事を信じ必死で生きています。胸が締め付けられます。
岩手県宮古市の昆愛海(こん まなみ)ちゃん(当時4歳)が22日午後、「ママに手紙を書く」と言い出した。
親戚の家のこたつの上にノートを広げ、色鉛筆を持つ。1文字1文字、1時間近くかけて書いた。
「ままへ。いきてるといいね。 おげんきですか」。
そこまで書いて疲れたのか、すやすやと寝入った。
両親と妹は11日の東日本巨大地震による津波にさらわれ、今も見つかっていない。
本州最東端の岬に近い岩手県宮古市の千鶏(ちけい)地区。
この小さな漁村で昆愛海(こんまなみ)ちゃんの両親は養殖ワカメで生計を立てる漁師をしていた。
東日本巨大地震の日。保育園にいた時に強い揺れがあり迎えに来た母親と自宅に戻った。
入り江を望む高台の家は、震災時の避難場所となっている小学校と隣接しているもう怖い思いはせずに済むはずだった。
だが、帰宅した瞬間、巨大な津波が襲った。
地元の災害対策本部によると、入り組んで狭くなった小さな湾に押し上げられ、波は30m以上もの高さに達したのだという。
両親と2歳の妹は引き潮にさらわれ行方不明になった。
愛美ちゃんはだけは助かった。すぐ駆けつけた親族によると背負っていた通園用のリュックが漁に使う網にひっかかったようだ。同地区の親戚にひきとられ、道路と橋が寸断され孤立状態の地区で約4日間を過ごした。
「表情が沈んでいて、何も話さないし、言葉を忘れてしまうほどショックを受けたのかと・・・・・・・」。
市内の内陸部に住む祖母の根木(ねぎ)静江さん(58)は震災1週間後に愛海ちゃんと会えたが、普段の元気な姿との余りの違いに不安が募った。
徐々に笑顔が戻ったものの、1階部分の室内がすべて流された自宅には今も近づくのを嫌がる。変わり果てた入り江をふとつらそうな表情もみせる。
余震も心配もあり、静江さんは愛海ちゃんを自分たちの家に避難させたいと関上げている。しかし、愛海ちゃんは「ママが帰ってくるまでここで待っている」と言って聞かない。
「パパから電話かかってくるかな」。同地区は現在携帯電話が通じない。それでも電源入れたままにしている父の銀色の携帯を、ぎゅっと握りしめた。
(記事 読売新聞 3月31日朝刊 35面)