寄する波 打ちも寄せなむ わが戀ふる 人忘れ貝 下りて拾はむ(紀貫之『土佐日記』)
おはようございます。山田です。今朝の道の駅ほうほくは、快晴。豊北町の海水浴場もフルオープン。朝、そこらの浜辺に寄りましたが、完全に夏!
さて、明日(7/22)は、土井ヶ浜フォーラム。テーマは「埋蔵文化財(歴史遺産)を活用した街づくり、地域づくりで、未来をつくる」、下関市教育センター(下関市幡生新町)にて、12:00開場、13:00~17:00で開催。参加無料。定員120名、まだお席あります。お問い合わせは、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム(083-788-1841)まで。
基調講演「史跡・遺跡の魅力と可能性」はこの分野のエース、同志社大学の水ノ江和同教授。フォーラムの始まりは「埋蔵文化財(歴史遺産)の活用-九州の事例-」は、環玄界灘考古学の泰斗、福岡大学の武末純一名誉教授。
下関市からは歴史博物館の古城春樹館長、考古博物館の濱崎真二館長、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムの松下孝幸館長と、考古学系展示を備えた各館長。さすが、日本の文化人類学研究の画期、土井ヶ浜遺跡発掘調査開始70周年記念イベント!
土井ヶ浜繋がりでは、今日(7/21)から、山口市にある山口県立山口博物館で、やまぐち大考古博がスタート。土井ヶ浜遺跡で大量に出土した、南西諸島からもたらされたゴホウラやイモガイといった、貝を加工した装飾品も展示されます。
道の駅情報コーナーに、夏のイメージでゴホウラを置きました。土井ヶ浜遺跡では腕輪に加工されて出土し、人類学ミュージアム正面のモニュメントにもなっている、南洋産の大きな貝です。
出土品である土井ヶ浜ミュージアムの展示物には失われている、貝殻のつやつや感。山田がいる時なら、手にとってご覧いただけます。弥生時代の人々が好んだ貝の手触りと重さを、ぜひ感じてみてください。
寄する波 打ちも寄せなむ わが戀ふる 人忘れ貝 下りて拾はむ(紀貫之『土佐日記』)
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寄する波 打ちも寄せなむ わが戀ふる(こうる) 人(ひと)忘れ貝(わすれがい) 下(お)りて拾はむ(ひろわん)(紀貫之『土佐日記』)
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寄せる波よ、運んできてくれ、私の恋しい人を忘れるための貝を、船を降りて拾うから。
今回の冒頭は『土佐日記』から。『土佐日記』は紀貫之(きのつらゆき)による、平安時代の日記文学。承平4(937)年に任地の土佐国(高知県)から帰京する55日間の船旅を、土佐で失った娘への哀惜とともに、女性が書いた日記のように描きます。
この歌は、船旅の途中、ある浜で泊まったところ、そこにはきれいな貝や石が多かったので乗船者が詠んだという歌です。「忘れ貝」は貝の種類ではなく、二枚貝の片方の殻だけが残った状態を指す言葉。なお、現在では、ワスレガイ (学名: Sunetta menstrualis)という名前がついた貝の種類があります。
道の駅ほうほくには、飾る貝殻も食べられる貝もあるので、ぜひお立ち寄りくださいね☆