道の駅 北浦街道ほうほく For Foreign Tourists

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スタッフブログ 2023.09.06

関鯨丸進水式!

昨日許曽 敷奈弖婆勢之可 伊佐魚取 比治奇乃奈太乎 今日見都流香母(『万葉集』第17巻3893番)

こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは、曇り時々晴れ、ところにより雨。

関鯨丸進水式 2023年8月31日 山口県下関市

先月末のことになりますが、2023年8月31日、山口県下関市で新しく建造された捕鯨母船「関鯨丸(かんげいまる)」の進水式が行われました。強風のため実際の進水は延期され、式典だけでしたが、すぐ側で見ると、その大きさに圧倒されます!

関鯨丸進水式 2023年8月31日 山口県下関市

全長約112.6メートル、総トン数約9,100トン。これまで30年以上にわたり活動してきた「日新丸」の後継船として、これから30年間、鯨を捕り続けてどんな鯨種にも対応できるとのこと。

南極海へも航海可能で、船内に70tの鯨を運び込んで加工できる設備だそうです。船籍は下関、捕鯨船団の中心船として、これからの日本の捕鯨を率いてくれることでしょう。

関鯨丸進水式 2023年8月31日 山口県下関市

下関市域では、鯨と人のかかわりは古く、約2000年前の弥生時代中期の遺跡・吉母浜(よしもはま)遺跡では、鯨の骨でできたアワビを岩からはがす時に使う道具「アワビオコシ」が出土しています。鯨の肉を食べて、骨は道具に加工して利用したのですね!

江戸時代には、各地で鯨組が組織されて、鯨を捕っていました。北前船の寄港地・下関では、鯨の肉、油などが、下関の問屋を通じて各地に送られた記録があるそうです。江戸時代から下関は、鯨の流通基地でした。

第二十五利丸の捕鯨砲と風向風速計 アンカー広場 山口県下関市

明治期に入るとそれまでの古式捕鯨に変わり、船に積んだ大砲で銛を発射して鯨を捕獲する近代式(ノルウェー式)捕鯨法が行われるようになりました。明治32(1899)年日本初の近代式捕鯨会社「日本遠洋漁業株式会社(本社:長門市)」が下関に出張所と倉庫を置き、下関は近代捕鯨の発祥地と呼ばれます。

第二十五利丸の錨 アンカー広場 山口県下関市

捕鯨の街・下関には、鯨と下関のかかわりを感じさせるものが、あちこちにあります。あるかぽーと近く、海峡交番(水上警察)の隣にあるアンカー広場には、捕鯨船・第二十五利丸(だいにじゅうごとしまる)の錨(アンカー)やプロペラ、風向風速計、捕鯨砲が展示されています。

第二十五利丸のプロベラ アンカー広場 山口県下関市

第二十五利丸は、昭和32(1967)年に建造され、南氷洋(南極海)へ40回連続、北太平洋へ26回、捕鯨の航海をしました。平成14(2002)年に最後の航海を終え、共同船舶株式会社から下関市へ寄贈。

平成19(2007)年からは下関漁港で展示されていましたが、平成27(2015)年に解体、現在のような展示になっています。

しかし、実は道の駅ほうほくがある豊北町内で、かつての第二十五利丸の姿を見ることができるのです!

下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館」 山口県下関市豊北町滝部

豊北町滝部にある、下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館(たいしょうかん)」には、第二十五利丸の模型が展示されています。錨(アンカー)やプロペラ、風向風速計、捕鯨砲もばっちり☆

第二十五利丸の模型 下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館」 (山口県下関市豊北町滝部)

アンカー広場の実物からは、その大きさや迫力がわかりますが、船の上でどのように使われていたかは、ぜひ太翔館の模型で探してみてくださいね。全体像を見ることで、新たな発見があるかもしれません。

第二十五利丸(模型) 下関市立歴史民俗資料館「太翔館」(山口県下関市豊北町滝部)

昨日許曽 敷奈弖婆勢之可 伊佐魚取 比治奇乃奈太乎 今日見都流香母(『万葉集』第17巻3893番)

昨日こそ 船出(ふなで)はせしか 勇魚(いさな)とり 比治奇(ひぢき/ひじき)灘(なだ)を 今日見つるかも(『万葉集』第17巻3893番)

昨日船出したばかりなのに、今日はもう鯨を捕る「ひじきの灘」を見ているよ。

第二十五利丸(模型) 下関市立歴史民俗資料館「太翔館」(山口県下関市豊北町滝部)

今回の冒頭は、奈良時代に編纂された日本最古の和歌集『万葉集(まんようしゅう)』から。天平2(730)年、大宰帥(だざいのそち:九州地方を統括した大宰府の長官)・大伴旅人(おおとものたびと)が大納言(だいなごん:閣僚)に任命されて上京する時、従者が詠んだ歌とされます。

「敷奈弖(ふなで)」の「弖」は本当はこの字に人偏がつく漢字ですが、PCで出ないので代役。「伊佐魚取(いさなとり)」の「いさな」は鯨のことで、「いさなとり」は「海」「浜」「灘」にかかる枕詞(まくらことば)。現代風には「鯨魚取り」「勇魚取り」と書きます。この歌は、『万葉集』の鯨を詠んだ歌として、よく挙げられます。

大宰府(福岡県太宰府市)を出て、船に乗ったのは昨日なのに、今日はもう「比治奇乃奈太(ひぢきのなだ)」まで来てしまってその海を見ていると、慣れ親しんだ大宰府から離れることを惜しむ歌とされます。

響灘 山口県下関市豊北町角島から

この「ひぢきの灘」はよく「瀬戸内海のどこか」とされますが、個人的には「響灘(ひびきなだ)」と思っています。ていうか、どう聞いても「響灘」でしょう。道の駅ほうほくの前に広がる海☆

「悲傷羇旅各陳所心作歌(羇旅(きりょ)を悲傷(かな)しび(み)、おのおの所心(おもひ/おもい)を陳(の)べて作る歌)」とあるので、大宰府との別れを悲しんだ歌ではあるのですが。

一方で「いさなとり」は単なる枕詞ではなく、風力と人力で進むしかない当時の船でも、鯨を捕るため船をこぐ「いさなとり」たちの腕にかかると、今日はもうはるばる響灘にまで着いてしまうのかという、驚きがあるような気がします。

よしもとカレー 下関 ぶちうま!くじら編 道の駅ほうほく(山口県下関市豊北町)

道の駅ほうほくでは、鯨の商品もたくさんありますよ。「よしもとカレー しものせき ぶちうま!くじら編」は、今月からの新商品。レストランわくわく亭の、今月の月間奉仕品は「くじら刺し身(単品)」通常1100円を1000円でご提供。道の駅ほうほくで、ぜひ「くじらの街・下関」を体感してくださいね!