「住みよい山口 いつも心に 交通安全」(山口県令和五年度交通安全運動年間スローガン)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは曇りから晴れたり、曇ったり。9月21日(木)から9月30日(土)まで、秋の全国交通安全運動です。ドライバーのみなさま、運転にはじゅうぶんお気をつけて!
先日、下関市綾羅木にある下関市立考古博物館で開催中の、令和5年度企画展示『古墳の群像 ~後期古墳から考える下関の地域性~』に行きました。道の駅ほうほくの敷地内にある、和久(わく)古墳の出土品が展示されているからです!
敷地に古墳がある道の駅というのも、珍しいのではないでしょうか。和久古墳は、6世紀後半(古墳時代後期)に築かれたもので、平成22(2010)年に発掘調査が行われ、現在は墳丘も修復されて、石室も組み直されています。晴れた日には、海を眺める展望台としてもいい感じ(・∀・)
古墳と認識される以前は、石積みの竈(かまど)に似ていることから「鬼のカマド」と呼ばれていました。須恵器や玉類の装身具、刀や鏃(やじり)など鉄製の武器、馬具などの副葬品が出土していますが、今、現地で見ることができるのは、砂岩や礫岩、凝灰岩などの堆積岩を左右対称に積み上げた横穴式石室と、天井石だけ。やっぱり古墳は、出土品も見なければ!
考古博物館は、下関で出土した鏡「多紐細文鏡(たちゅうさいもんきょう)」の形を模した建物。その一角に、豊北町民にはなじみが深いあの鳥がいます。
高いところにいるこの鳥、土井ヶ浜遺跡で出土した「鵜を抱く女」の鵜がモチーフですね。もっとも、発掘当初は女性と一緒に葬られた鵜だと考えられていたあの鳥は、近年の研究で実は鵜ではなかったと判明。
詳しくは、11月5日まで開催中の、土井ヶ浜遺跡発掘調査開始70周年記念、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアム開館30周年記念企画展『新説・土井ヶ浜弥生人』にて、お確かめください!
さて、綾羅木の考古博物館は、敷地内に綾羅木郷遺跡や若宮古墳を有していることもあり、充実した展示です。発掘当初日本初の土笛に最大級の貯蔵穴、稗田地蔵堂遺跡出土の蓋弓帽、梶栗浜遺跡出土の多紐細文鏡、綾羅木の名を冠した土器の数々。でも今回の目的は企画展。
今回の企画展のテーマは「後期古墳」なので、6世紀以降が対象。第一章は博物館のある綾羅木周辺、第二章は豊北町をはじめとした市内各所(綾羅木から遠いところ)にある後期古墳です。
まず最初は、綾羅木の川北神社のところの、上の山(うえのやま)古墳。明治時代に発掘されましたが削られて、現在はなくなっています。
出土品は、鏡に6つの鈴がついた六鈴鏡(ろくれいきょう)に5つの鈴がついた腕輪・鈴付釧(すずつきくしろ)、大小の輪が組み合わさった小環付釧(しょうかんつきくしろ)に3つの輪を連ねたような形の三輪玉形金具(みわだまがたかなぐ)。さすが「鈴と輪っかの上の山古墳」(勝手につけたキャッチフレーズ)!
なのに、ここまで展示しているのに、なぜ馬具(f字形鏡板付轡)が写真なの…とかやってたら、いくら書いても終わらないので、一足飛びに第二章-2「和久1号古墳」へ。
ちなみに和久古墳は、発見当初は豊北町神田上和久で見つかった初めての古墳だったので「和久1号墳」と命名されましたが、2号墳が今のところ見つかっておらず、「和久古墳」で通じます。
和久古墳の出土品としては、刀や鏃(やじり)など鉄製の武器、馬具がよく挙げられます。しかしこんな、本格的に刀の形が残っていたとは。鍔(つば)も立派で、刀子(とうす)と鏃(やじり)も複数出土していたとは。
そして碧玉製管玉と、水晶製切子玉。これはもう立派なアクセサリー、いやジュエリーではありませんか。石室だけでは実感がありませんでしたが、出土品を見ると、たしかにこの地方の首長墓に思えます。和久古墳すごい!
他にも、第一章では有冨にある「玉の観音堂古墳」、新下関にある「馬具の秋根2号墳」、延行にある「刀剣の丸小山墳墓群」など。第二章では豊浦町黒井にある「円筒埴輪の大門古墳」、室津にある「須恵器とガラスの甲山古墳群」、菊川町の「耳環の植松古墳群」に王喜にある「金銅馬鈴の傍示古墳」と、どこの出土品も見ごたえがあります。
綾羅木の考古博物館は、国道191号線、下関北バイパスからも近いです。道の駅で和久古墳を見るなら、この企画展にもぜひお立ち寄りください!
下関市立考古博物館 令和5年度企画展示『古墳の群像 ~後期古墳から考える下関の地域性~』
- 令和5年9月9日(土)~11月26日(日)9:30~17:00
- 下関市立考古博物館(山口県下関市綾羅木454)
- 入館無料
- 月曜休館
- 問い合わせ:083-254-3061
なお、道の駅ほうほく、9/30(土)は最終土曜日、まぐろの日。皆様のお越しをお待ちしております!