「昇華-SHOUKA-大内文化」に行きました
豊田〃二日 但神田阿川粟野□二日路半、請文十一日(「大内家壁書」/豊北町史編纂委員会『豊北町史』1972年)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほく、粉雪が舞っていますが、元気に営業しています。道の駅周辺では今のところ積雪はありませんが、豊北町内は屋根や小路が白くなったところもあり、とても寒いです。防寒対策はしっかりと!
先日、道の駅ほうほくから車で約1時間半、山口市にある香山公園で1月19日から始まった特別夜間イベント・プロジェクションマッピング「昇華-SHOUKA-大内文化」に行きました。1月28日(日)まで、毎日18時から20時。
改修中の国宝・瑠璃光寺五重塔を覆うデザインシートに、山口に来訪した大内氏に関連する歴史的人物を彷彿とさせる映像を映し、大内氏の歴史と思想を表現しています。また、大内氏の和歌とステンドグラスをモチーフにした、空間アートプログラム「大内文化思想をめぐる道」エリアも一緒にライトアップ。
色鮮やかな映像が流れるように動いて、周囲も綺麗な色に染まっていて、見ごたえがあります。天候が落ち着いて、夜にお出かけされるなら、ぜひ行ってみてください。
2024年1月、山口市は、アメリカのニューヨーク・タイムズ紙が発表した「2024年に行くべき52カ所」で、世界各地の旅行先の中で3番目に選ばれました。山口県は、改修中の瑠璃光寺五重塔が見られるよう、工事が進んだらシートを透明パネルに変えたり、ライブカメラを設置する予定だそうです。新しい試みが楽しみですね!
豊田〃二日 但神田阿川粟野□二日路半、請文十一日(「大内家壁書」/豊北町史編纂委員会『豊北町史』1972年)
今回の冒頭は、『豊北町史』(豊北町史編纂委員会、1972年)掲載の「大内家壁書の一部(長府博物館所蔵)」から。「大内家壁書(おおうちけかべがき)」は室町時代、山口を本拠とした守護大名・大内氏の家法。個別に発布した法令の一部をのちに編集したもので、「大内氏掟書(おおうちしおきてがき)」とも呼ばれます。
永享11(1439)年から明応4(1495)年までの法令を収めた原形が、95年8月以降に編集されたらしく、大内氏滅亡後に大幅に増補されたもの、16世紀の法令を中心とするものなど伝本がいくつかあります。引用部は、寛正2(1461)年に定められた交通・流通に関わる箇所。豊北町内の地名「神田」「阿川」「粟野」が登場し、「豊田郡」に入っていて、山口から2日半かかるとされています。
他に、「豊東郡」「豊西郡」があり、「豊西郡」には「宇賀」「河(川)棚」が入っています。古文書に知っている地名が載っていると、なんだか嬉しいですね☆
室町時代に整備された肥中街道(ひじゅうかいどう)は、大内氏の本拠・山口と、道の駅からすぐの肥中港を結ぶ、約62kmの街道。肥中港は当時、明や朝鮮との大内氏の重要な貿易港でした。豊北町内には、肥中街道の名残の古い道が今も使われています。案内看板も立っているので、探してみてください!
山口市には、明応9(1500)年3月5日、大内氏館(山口市大殿大路、現龍福寺)にて、大内義興(第30代当主)が足利義稙(室町幕府第10代前将軍)をもてなした宴会料理を再現したメニュー「大内御膳」があります。湯田温泉の、防長苑さんと山水園さんで食べることができます。
当時は、砂糖やみりんといった甘い調味料が存在しませんでした。素材本来の甘みのほか、甘みが必要ならハチミツを使っていたそうです。
道の駅ほうほくでは、地元下関産・サンヨー蜂園さんのハチミツが並んでいます。お花の種類でいろんな味わいがあるそうなので、ぜひ比べて見てください。
2024年1月22日の角島灯台公園の水仙。ちらほら咲いていますが、ちらほらです。