三千歳に みちあまる日や 桃の酒
三千歳に みちあまる日や 桃の酒(田上菊舎/岡昌子『生誕270年記念出版 田上菊舎年譜集成』菊舎顕彰会、2023年)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは、冷たい雨。山間部では雪も舞っていましたが、今日も元気に営業しています!
道の駅ほうほくから車で約15分、下関市豊北町田耕にある本宮中山神社の梅を見に行きました。ちょっとシーズンからはずれたようで、花はさみしかったですが、本宮中山神社は今からちょうど160年前、尊王攘夷に尽くした中山忠光がご祭神。元治元(1864)年11月、京都出身の若公達が、非業の死を遂げた場所。
寒い夜だったと証言が残っているので、ちょうど今朝のような雰囲気だったかもしれません。若くして倒れた貴人を地元の人々は悼んで石碑を建て、100回忌を機に社を建立して、今も弔い続けています。
さて、今日は桃の節句、ひなまつり。昨日と今日は、道の駅ほうほくにも桜餅が並んでいます。関西風の道明寺は、道明寺粉を蒸した生地で、餡を包んだもの。ぜひ食べてみてください!
先日、道の駅ほうほくから車で約1時間、下関市長府で開催されている「2024長府ひなまつり」スタンプラリーを制覇して来ました。長府の街中で、忌宮神社、正円寺、長府毛利邸、長府庭園、長府観光会館の5カ所をめぐって、QRコードでスタンプを集めます。3月10日まで。
お雛様だけでなく、手作りのさげもんなども飾られています。見ごたえありますよ!
三千歳に みちあまる日や 桃の酒(田上菊舎/岡昌子『生誕270年記念出版 田上菊舎年譜集成』菊舎顕彰会、2023年)
今回の冒頭は、田上菊舎の俳句。寛政9(1797)年3月3日、前年から長崎に滞在していた菊舎が、雛祭りの酒肴をもてなされて詠んだ句です。当時、菊舎は45歳。
田上菊舎は、江戸時代の豊浦郡田耕村(山口県下関市豊北町田耕)で長府藩士の家に生まれ、若くして夫に死別。28歳で出家し、菊舎の号を得て、九州から奥羽(東北地方)まで旅を重ね、文人として活躍しました。
この句に使われている「桃」は、雛祭りを象徴する花。日本や中国で古くから使われてきた旧暦(きゅうれき)は、月のめぐりをもとにしたもので、明治維新の後で採用された新暦は太陽のめぐりをもとにしているため、1~2ヶ月のずれがあります。
今日は新暦3月3日ですが、旧暦ではまだ1月23日。今年の旧暦3月3日は、新暦では4月11日にあたります。温暖化とはいえ、豊北町でも桃はまだまだなわけですね。
桃については、古代中国、3世紀~6世紀にあたる六朝(りくちょう)時代に成立したとされる『漢武故事(かんぶこじ)』は、名君と名高い漢の武帝(紀元前156~紀元前87)のエピソード集の中に、武帝が道教の女神・西王母(せいおうぼ)に不死の薬を乞い、桃を与えられたというお話があります。不老長寿をもたらす桃は、二千年前からイメージされていたのですね。
そして、中国で16世紀に成立した『西遊記(さいゆうき)』では、西王母が所有する蟠桃園(ばんとうえん)には三千六百本の桃の木があり、千二百本は三千年に一度熟して食べると仙人になり、千二百本は六千年に一度熟して食べると不老長寿となり、千二百本は九千年に一度熟して食べると天地のある限り生きられるとか。これらのエピソードから、「三千歳(みちとせ)の桃」が、非常に珍しくめでたいもののたとえとなっています。
この菊舎の句は、「三千歳」「みち(満ち)あまる日」そして「桃」と、めでたい言葉を連ねて雛祭りを寿ぎ、「三千歳(みちとせ)」と「みち(満ち)」で韻を踏んで華やかな語感。喜びにあふれた桃の節句にふさわしい句となっています。
雛祭りや春に咲く花を楽しむ心は、昔も今も変わりません。豊北町はこれからお花の季節を迎えます。ぜひお出かけください☆