開駅12周年記念と阿川と清末の毛利家
あるとき阿川の殿様の館門が建ちかわることがありました。浦の者が<喰出の加勢>に出ておりますと、どうしたはずみか大工が塀の上からクサビを一本落しました。クサビは地ふくの下の石に突きささりました。これをみた浦のものはびっくりして、「殿様のお館のクサビは名刀でこしらえてあるのであろう」とうわさしました。しかしこの殿様は格式以上の立派な門を作ったので、萩藩から蟄居を命じられました。(民話「喰出の加勢」/豊北町史編纂委員会『豊北町史』1972年)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは、雨模様。14時からの開駅12周年記念お餅まき、開催します!
会場の和久漁港へは、道の駅ほうほく屋外トイレ横の階段をご利用ください。霧雨でも決行。空を飛ぶ12,000個のお餅を、ぜひ受け取りに来てください( ●● )
12時半からの、地元豊北町粟野出身の木村たいぞう凱旋ものまねショーは、ただいま開催中。たくさんのお客様が楽しんでおられます。こちらもぜひ☆
先日、道の駅ほうほくから車で約1時間、下関市長府にある下関市立歴史博物館の企画展「清末毛利家―毛利一族を救った知られざる大名」に行きました。江戸時代のはじめ承応2(1653)年、長府毛利家から1万石を分け与えられる形で独立した、清末(きよすえ)毛利家。
下関市清末、今の東部中学校に本拠を置き、現在の下関市小月から内日、菊川町が主な領地。大名として独立しつつも、長府毛利家の血筋が途絶えた時には後継者を輩出して、本家を支えました。
毛利一族の家紋は「一文字三ツ星」ですが、実は「一文字」のかたちが家によって違います。清末毛利家の「一文字」は、筆書きしてピタっと止めたようなかたち。同じ名前の家紋でも、よく見ると違いがありますね。
今回の冒頭は、『豊北町史』から。豊北町阿川や滝部を領地としていた、阿川毛利家の殿様に関わる民話です。
「喰出の加勢(くいでのかせい)」とは、大勢が力を合わせる必要がある作業の際は、主催者が食事を用意するものなのに、殿様が命じる作業は手弁当であったので、呼んだ悪口です。
クサビは、断面が鋭いV字形になるように、木や金属で作られた工事用具の一種。木や石を割ったり、重い物を押し上げたり、差し込んだ材が抜け落ちるのを防いだりします。金属で作られたクサビですが、通常は使いたいところに当てて、叩いて使用するもの。
しかし、このお話では、高い所から落としただけで、石に突き刺さったわけです。そんな鋭い刃を持つなんて、よほどの名刀に違いないという、冗談なのですね。そして、褒めるだけでは終わりません。
阿川の殿様の館は、阿川の集落の南側、線路を超えた山側にあります。近くには、阿川毛利家が設置した郷校・時習館(じしゅうかん)跡や、阿川毛利家墓地もあります。館跡には、現在は石碑が建っているだけですが、江戸時代を通じて、萩藩の重役として活躍した毛利の殿様の面影を偲ぶことが出来ます。
道の駅ほうほくでは、日本酒「阿鼓桜・阿川毛利」や「毛利公」を置いています。殿様がいた昔を偲びつつ、一杯どうぞ☆