道の駅 北浦街道ほうほく For Foreign Tourists

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スタッフブログ 2024.04.21

五十三次見て登る幟かな

五十三 次見て登る 幟かな(田上菊舎『手折菊』)

 

太翔館の鯨のぼり 山口県下関市豊北町滝部

 

こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは曇り、午後の降水確率80%ですが、元気に営業しています!

 

芝桜ガーデン 2024年4月17日 山口県下関市豊田町高山

 

先日、情報提供をいただいて、道の駅ほうほくがある下関市豊北町のお隣、豊田町高山の芝桜ガーデンに行ってみました。ちょうど満開で、見ごたえありました!

 

太翔館の鯨のぼり 山口県下関市豊北町滝部

 

五十三 次見て登る 幟かな(田上菊舎『手折菊』)

 

今回の冒頭は、田上菊舎(たがみきくしゃ:1753-1826)の『手折菊(たおりぎく)』から。田上菊舎は、江戸時代の旅する女流文人。豊浦郡田耕村(山口県下関市豊北町田耕)で長府藩士の家に生まれ、若くして夫に死別しました。28歳で出家し、菊舎の号を得て、九州から奥羽(東北地方)まで旅を重ね、文人として活躍しました。

 

太翔館常設展示 山口県下関市豊北町滝部

 

菊舎は、江戸で三年間、俳句や茶道に励み、天明4(1784)年、5月5日の端午の節句を前に、西に向けて旅立ちます。「五十三次」は「東海道五十三次(とうかいどうごじゅうさんつぎ)」で、古代以来の東日本の交通路である東海道に、江戸幕府によって設置された53ヶ所の宿駅のこと。

江戸幕府は、街道沿いに宿場を設けて馬を準備し、公用の旅人や物資の輸送は、無料で次の宿駅まで送り継ぐという宿駅を設けていました。役所のほか、宿や店ができ、一般の旅人の役にも立っていたのです。

 

太翔館の鯨のぼり 山口県下関市豊北町滝部

 

季節柄、東海道の宿駅のように多くの人家がある場所では、男児の成長を願って幟(のぼり)が掲げられていたのでしょう。鯉のぼりのはじまりです。東海道を旅しながら、次に休憩する五十三次の宿駅を、幟を目印にして歩いていたとわかる一句。

江戸時代には京の都が「上方(かみがた)」だったので、江戸から東海道を東へ進むことを「登る」と言い、「幟(のぼり)」と語呂合わせしています。菊舎の俳句らしい、遊び心が感じられます。

 

太翔館常設展示 山口県下関市豊北町滝部

 

昨年2023年は、田上菊舎生誕270周年でした。道の駅ほうほくから車で約10分、下関市豊北町滝部にある、下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館」では、常設展で田上菊舎を紹介しています。江戸時代に遠く旅した田耕出身の文人・田上菊舎の生きざまを見に、ぜひお出かけください!

 

太翔館の鯨のぼり 山口県下関市豊北町滝部

 

太翔館エントランスでは、鯉のぼりならぬ鯨のぼりを展示中。上の方にあるので、見逃さないでくださいね。

 

 

そして、太翔館は今年2024年が、竣工から100年。4月23日から竣工100年記念企画展『学舎が見ていた100年展』がはじまります。太翔館は、1924(大正13)年に建造された、旧滝部小学校の校舎。滝部出身の実業家・中山太一の寄贈による、鳳凰が両翼を広げたような美しいたたずまいが特徴です。

ルネサンス様式の石造建築を木造建築に取り入れた構造で、大正期の代表的な学校建築として、1979(昭和54)年、県の有形文化財に指定されました。今回の展示は、太翔館が学校だった時代の写真が中心。滝部小学校に通っていたなら、写っているかもしれません!

 

アイリス 道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町

 

道の駅ほうほくでも、アイリスが登場し、GWや端午の節句が近づいている雰囲気。子供さんが嬉しいイチゴも、毎日入荷しています。人気なので、お早めに!

 

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町