『幕末群雄伝』と『高杉晋作伝』と『Rose Night』
夷敵らと 友に東夷も たをさねハ いかで御国の けかれすゝかん(中山忠光和歌短冊/下関市立歴史博物館蔵)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは曇、今週は晴れたり曇ったりのようです。豊北町の蛍は、いよいよ盛りのシーズン。ただし、暗くて足元が危ないので、蛍見物にお出かけの際はじゅうぶんお気をつけください!
道の駅ほうほくから車で1時間余、下関市長府にある、下関市立歴史博物館企画展『幕末群雄伝―下関に集った志士たち―』に行きました。幕末の下関には、国の行く末を憂えた多くの志士たちが訪れ、交流したり活動したりしました。その痕跡を辿ることができます。6月2日まで。
夷敵らと 友に東夷も たをさねハ いかで御国の けかれすゝかん(中山忠光和歌短冊/下関市立歴史博物館蔵)
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夷敵(いてき)らと 友(とも/共)に東夷(とうい)も たを(倒)さねハ(ば) いかで御国(みくに)の けかれ(けがれ/穢れ)すゝかん(すすがん)(中山忠光和歌短冊/下関市立歴史博物館蔵)
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外国の敵と共に東のやつらも倒さなければ、どうしてこの国のケガレを払うことができようか。
今回の冒頭は、『幕末群雄伝』展示品のひとつ、中山忠光和歌短冊から。中山忠光は幕末に活躍した尊王攘夷(そんのうじょうい)派の公卿(くぎょう:朝廷の貴族)。姉・中山慶子が明治天皇の生母で、中山忠光は明治天皇の叔父。
「夷敵(いてき)」は日本に迫る西欧列強の脅威、「東夷(とうい)」は朝廷の威信を脅かす江戸幕府のこと。天皇を中心とし、外国の侵略に対抗する「尊王攘夷」の考えがあらわれた和歌です。
江戸時代末の文久3(1863)年、19歳の時、地位を捨てて長州藩(山口県)へ下り、下関攘夷戦争に参加。8月大和国(やまとのくに:現在の奈良県)で「皇軍御先鋒(こうぐんごせんぽう)」として天誅組(てんちゅうぐみ)の変を起こします。
しかし、幕府軍の追討を受け、9月末に天誅組は壊滅。中山忠光は大阪の長州藩邸から舟で長州へ逃れ、長府藩領に匿われました。豊浦郡内を転々として一年余り後、第一次長州征伐の動乱の中、元治元(1864)年11月、田耕村(山口県下関市豊北町田耕)で暗殺されました。享年二十歳(満19歳)。
遭難の地には石碑が建てられていましたが、没後百年の昭和38(1963)年、田耕村民により本宮中山神社が建立されました。激動の幕末を駆け抜けて、豊北町で亡くなった若者を偲ぶ場所です。2024年の今年は、没後160年。ぜひお出かけください☆
『幕末群雄伝』では、中山忠光の和歌短冊と書状、それに下関滞在中に着たという道行(みちゆき:外出用の上着)が展示されています。場内は撮影禁止なので撮っていません。ぜひ実物を見に行ってください!
あわせて、下関市吉田にある下関市立東行記念館の企画展『高杉晋作伝』へ。幕末長州の英雄・高杉晋作の生涯を紹介する展示。6月23日まで。
「東行(とうぎょう)」は高杉晋作の戒名で、敷地である東行庵(とうぎょうあん)には高杉晋作のお墓があります。幕末の動乱の中、高杉晋作と同じ時代を生きた人々のお墓も、集められています。
東行庵は、花の寺としても知られます。ちょうど睡蓮が盛りで、池に白い花が咲いていました。菖蒲が有名ですが、まだ少し早かったようです。
花といえば、宇部市の常盤公園のRoze Night(ローズナイト)に行きました。ときわミュージアム・世界を旅する植物館「バラ展」のひとつ、いわゆる夜間公開です。
幻想的なライトアップで、見ごたえありました。光るバラを手に取って、記念撮影ができます。植物園だからか、ペットと一緒に撮っている方がたくさんいました。
ときわミュージアムRose Nightは土曜だけですが、バラ展は5月26日まで。こちらもお早めに☆
道の駅ほうほくでは、幕末の志士をモチーフにしたお菓子がいろいろあります。力満点の「吉田松陰のポテトチップス」は大人気。
幕末維新の志士のイメージで作られた「山口・萩偉人さん大集合チーズクッキー」は、眺めて楽しい一品。どれが誰かわかるか、あてっこもできます。
お酒コーナーには、志士の名を冠した日本酒もあります。詳しい人だと、飲みながらお話が広がりそう。
豊北町では、道端の花も盛りを迎えています。ドライブしながら探してみてください☆