ハマユウの終わりと今が盛りの蓮の花と滝部地区夏祭り盆踊り大会
久佐迦延能 伊理延能波知須 波那婆知須 微能佐加理毘登 登母志岐呂加母(『古事記』雄略天皇)

角島大橋を走るほっくんバス(ブルーライン交通) 2024年8月7日 山口県下関市豊北町
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほく、快晴です。ほっくんバスも元気よく、角島大橋を走って行きました。

角島大橋 2024年8月7日 山口県下関市豊北町
本土側の海士ヶ瀬公園、展望台にもひっきりなしに人が登っています。角島大橋、晴れていると絶景です!

道の駅ほうほく 2024年8月7日 山口県下関市豊北町
道の駅ほうほくでは、ほっくん農園のひまわりが、たくさん咲いています。そろそろ種子の気配が見えて来たものも。
このひまわりは、東日本大震災の翌年、宮城県気仙沼市で咲いたひまわりの子孫です。本州の西の端っこで、種子が受け継がれ、毎年きれいな花を咲かせています。

角島夢崎のハマユウ 2024年8月6日 山口県下関市豊北町角島
角島夢崎のハマユウは、そろそろ終わり。角島灯台・夢崎明神周辺。まだお花はありますが、だいぶ少なくなっています。私は7月上旬からハマユウを見に行っていますが、見頃が長いです。

角島夢崎のハマユウ 2024年8月6日 山口県下関市豊北町角島
毎日暑いですが、季節は移り替わるのですね。道の駅ほうほく展望テラスの端っこでは、蓮の花が咲いています。

道の駅ほうほく 2024年8月7日 山口県下関市豊北町
そろそろ見頃なので、今朝、道の駅ほうほくから車で約20分、下関市豊田農業公園みのりの丘にある、蓮池に行ってみました。ちょうど花盛り!

みのりの丘 2024年8月7日 山口県下関市豊田町
蓮の花は、朝に開いて午後には閉じると言われています。咲いているところが見たい方は、お早めにお出かけください!

みのりの丘 2024年8月7日 山口県下関市豊田町
久佐迦延能 伊理延能波知須 波那婆知須 微能佐加理毘登 登母志岐呂加母(『古事記』雄略天皇)
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日下江(くさかえ)の 入江の蓮(はちす) 花蓮(はなばちす) 身の盛り人 ともしきろかも(『古事記』雄略天皇)
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日下江の入江に咲いている蓮の花のように、身の盛りを迎えている人がうらやましいです。

みのりの丘 2024年8月7日 山口県下関市豊田町
今回の冒頭は、『古事記』雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)と「引田部(ひけたべ)の赤猪子(あかいこ)」のお話から。ある時、お出かけになった雄略天皇は、川で洗濯をしている美しい乙女に名前を尋ね、「嫁に行くな、迎えをよこすから」と告げます。
その言葉を信じた乙女・赤猪子は、誰とも結婚せず、ずっと天皇の迎えを待ち続け、80年余りが過ぎてしまいました。とうとう待ちきれず、天皇に面会を申し出た赤猪子。なんと雄略天皇は、かつての道端でのナンパをすっかり忘れてしまっていたのでした。

みのりの丘 2024年8月7日 山口県下関市豊田町
哀れに思った雄略天皇は赤猪子に歌を授け、赤猪子も歌を返します。冒頭の歌はそのうちのひとつで、お召しを待ち続けて、人生の盛りを過ぎてしまった赤猪子が、若い人をうらやんでいる歌です。
雄略天皇は、赤猪子に贈り物をして帰しました。権力者の気まぐれで、身分の低い者の人生がもてあそばれてしまう時代をあらわした物語ですが、殺伐とした雄略天皇の時代のお話としては、どこかほのぼのとしています。

みのりの丘 2024年8月7日 山口県下関市豊田町
「日下江(くさかえ)」とは、現在の東大阪市日下町付近。大阪平野の一部である河内平野は、縄文時代には生駒山麓まで入江で、河内湾と呼ばれます。古墳時代になると、河内湾は淡水化し、潟となって、やがて河内湖となりました。その南側に、日下江(草香江)はありました。
雄略天皇は、『宋書』倭国伝に記された倭王武とされ、五世紀の天皇と考えられています。ちょうど古墳時代、淡水域となった日下江に、蓮の花が咲いていたのでしょう。昼には閉じてしまう蓮の花の盛りは美しくも短いことを、古代の人々も知っていたのですね。

かき氷(ミックス) 道の駅ほうほく
道の駅ほうほく屋外屋台特牛焼きさんでは、かき氷が始まっています。華やかできれいだけど短い盛りは、かき氷も一緒ですね!
来週、8/15(木)には、道の駅ほうほくから車で約10分、豊北町滝部にある下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館(たいしょうかん)」前の広場で、滝部夏祭り盆踊り大会が開催されます。18時半から盆踊りに出店、20時半から餅まきならぬ「なんでもばらまき」、21時花火。ぜひお出かけください!

角島大橋 2024年8月7日 山口県下関市豊北町