道の駅 北浦街道ほうほく For Foreign Tourists

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スタッフブログ 2024.09.09

巨大クレーンがあらわれたJR山陰本線・粟野川橋梁工事と山陰道

直廣肆巨勢朝臣粟持為山陰使者。(『日本書紀』天武天皇十四年乙酉九月戊午条)

 

粟野川橋梁 2024年9月8日 山口県下関市豊北町粟野

 

こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは、晴れ。今日も暑くなりそうです。

 

豊北夏祭り2024 2024年9月7日 山口県下関市豊北町

 

先週9月7日(土)は、豊北夏祭り。道の駅ほうほくから車で約10分、阿川ほうせんぐり海浜公園には、たくさんの出店が並び、大勢の人でにぎわっていました。

 

豊北夏祭り2024 2024年9月7日 山口県下関市豊北町

 

豊北夏祭りの打ち上げ花火は、阿川湾に据えた台船からで、浜と近いのですごく迫力があります。夏の終わりの花火大会、充実していました☆

 

豊北夏祭り2024 2024年9月7日 山口県下関市豊北町

 

昨年夏の豪雨災害で甚大な被害を受けたJR山陰本線は、6月に一部運行再開しましたが、人丸駅~滝部駅間はいまだ代行バス運行のみ。このほど、粟野川橋梁の復旧工事のためにクレーンが来たと聞いて、見に行きました。

 

粟野川橋梁 2024年9月8日 山口県下関市豊北町粟野

 

赤白の巨大クレーンが、橋の側にありました。傾斜してしまった粟野川橋梁の橋脚1基を改築するほか、橋脚や橋桁の修復も必要で、一年半ほどかかる見込み。JR西日本は、2025年度中の山陰本線全線復旧を目指しているとのこと。ご安全に!

 

粟野川橋梁 2024年9月8日 山口県下関市豊北町粟野

 

道の駅ほうほくから車で約40分の下関市豊田町にある、道の駅蛍街道西ノ市に、長門鉄道を走っていたSLが置いてあることは有名ですが、下関市内では他にも、山陰本線を走っていたSLを見ることができます。

 

一里山公園 山口県下関市椋野町

 

下関市椋野町にある一里山(いちりやま)公園には、「でごいち」の愛称で知られるD51形式蒸気機関車が置いてあります。D51768号!

1943(昭和18)年に川崎車輛(㈱)でつくられ、主に下関管区に配置され、山陰線の旅客、貨物輸送にあたり、走行距離は1,334,000km。1973(昭和48)年、日本国有鉄道から下関市に贈られ、一里山公園に置かれています。

 

一里山公園 山口県下関市椋野町

 

ここに人が乗って、山陰本線の線路を走っていたと思うと、わくわくします。粟野川橋梁も、渡ったかもしれません。

ハンドルなどは動きませんが、実際に乗りこんで触ったり、ガラスはありませんが窓からの風景を見ることもでき、機関士の気分が味わえます。お好きな方は、ぜひ行ってみてください!

 

一里山公園 山口県下関市椋野町

 

直廣肆巨勢朝臣粟持為山陰使者。(『日本書紀』天武天皇十四年乙酉九月戊午条)

直廣肆(じきこうし)の巨勢朝臣粟持(こせのあそんあわもち)を山陰(そとものみちの)使者(つかひ/つかい)と為す。

直廣肆という官位の巨勢朝臣粟持を山陰道の監査役とする。

 

一里山公園 山口県下関市椋野町

 

今回の冒頭は『日本書紀』から。『日本書紀』は720年(養老4)年に成立した、日本で初めての公的な歴史書。古くは『日本紀』とも言い、神代の時代から持統(じとう)天皇の代までを、編年体(へんねんたい)で記しています。

昔の、年号がなかった時代のことは、天皇の治世何年という書き方がされています。なので、「天武天皇十四年乙酉九月戊午条」とは、天武天皇が即位して十四年目(西暦684年)の九月のこと。「乙酉(きのととり)」「戊午(つちのえうま)」は干支です。

 

一里山公園 山口県下関市椋野町

 

この時、巨勢粟持(こせのあわもち)と言う人が、「山陰道(さんいんどう)」の使者に任じられました。「直廣肆」は当時の国家公務員の職位のひとつで、なかなかの高級官僚。「朝臣(あそん)」は、天武天皇の時代に制定された八色(やくさ)の姓(かばね)の第二位で、特定の氏につけるもの。この場合は「巨勢(こせ)」に使われています。

同時に、東海、東山、山陽、南海、筑紫にそれぞれ「使者」が派遣されています。当時の地方行政は「周防(すおう)」「長門(ながと)」などの、「国」が単位でした。天武天皇時代に、「国」が「山陰」をはじめとする「諸道」としてまとめて扱われていたことが、この記事からわかります。この「山陰道」が、「山陰地方」「山陰本線」として、現代まで残っているのです。

 

一里山公園 山口県下関市椋野町

 

山口県の旧国名「周防(すおう)」「長門(ながと)」は、行政単位としては「山陽道」に属し、「山陰道」ではありませんが、山陰道につながる道路は伸びていたようです。「使者」は後に「按察使(あぜち)」「観察使(かんさつし)」などの役職に繋がる、行政の監査役と考えられています。

「山陰」に「そとものみち」とフリガナがありますが、「外面の道」で、山陰が日本海を隔てて朝鮮半島や中国大陸といった外国に面していることからついた名前でしょう。「山陰道」「山陰本線」と気軽に使う言葉にも、古い歴史があるのですね。

 

JR山陰本線・滝部駅 山口県下関市豊北町

 

道の駅ほうほくは、古代からの山陰道につながる国道191号上にあります。国道グッズもありますので、お土産にどうぞ☆

 

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町