令和七年は浜出祭の年
右豊浦郡神田上村土井ヶ浜蛭子社之儀ハ、八ヶ年目ニ一度宛神事執行相成来(『風土注進案』神田上村)

2025年元旦道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町
令和七年あけましておめでとうございます。山田です。今年もよろしくお願い申し上げます。
道の駅ほうほく、今朝は快晴、お出かけ日和です。本日1月2日も開店は10時です。明日1月3日より通常営業となり、8時30分開店となります。

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町
新春福袋、本日も100個、ご用意しています。お早めにお越しください!

道の駅ほうほく 山口県下関市豊北町
今年は浜出祭(はまいでさい)の年。道の駅にもポスターを貼っていますが、2025年4月6日(日)斎行予定です。

山口県下関市豊北町
令和七(2025)年元旦、浜出祭を行う、田耕(たすき)神社と神功皇后(じんぐうこうごう)神社に初詣。田舎の村の素朴な神社です。
浜出祭は、7年ごとに行われる、北浦地方最大級のお祭り。豊北町田耕(たすき)の厳島(いつくしま)神社と、豊北町神玉(かみたま)の蛭子(えびす)社という、2つの神社の合同祭礼。現在、厳島神社は田耕神社に、蛭子社は神功皇后神社に合祀されているので、この2つの神社が合同で行うお祭りです。
神功皇后社のある地域は、「神玉(かみたま)」地区と言いますが、これは「神田上(かんだかみ)」村と「矢玉(やたま)」村の合成地名。それぞれから一文字ずつとっていて、小学校も「神玉小学校」でした。ちなみに「神田中(かんだなか)」村と「神田下(かんだしも)」村もありましたが、こちらは合体して「神田(かんだ)」地区となっています。

田耕神社 山口県下関市豊北町田耕
伝説によると、鎌倉時代の元寇(蒙古襲来)の時、蒙古軍の一部が土井ヶ浜から上陸して合戦となり、厳島神社の神威により全滅させたものの、蒙古の祟りがあったので、鎮めるために浜出祭が始まりました。山側の田耕と海側の神玉、厳島神社の女神と蛭子社の男神など、相対するふたつのものが共に行う「陰陽和合の出合祭」として、山口県の無形民俗文化財に指定されています。

神功皇后神社 山口県下関市豊北町神田上土井ヶ浜
氏子たちが時代衣装を身にまとって行列を組み、3カ所から出発して豊北町滝部で合流し、ひとつの大行列となって土井ヶ浜まで練り歩き、浜に作られた「座(ざ)」で古式ゆかしい神事を行います。残念ながら、今回は行列は簡略化されて、浜での神事がメインとのこと。

田耕神社 山口県下関市豊北町田耕
右豊浦郡神田上村土井ヶ浜蛭子社之儀ハ、八ヶ年目ニ一度宛神事執行相成来(『風土注進案』神田上村)
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右、豊浦郡(とようらぐん)神田上村(かんだかみむら)土井ヶ浜(どいがはま)蛭子社(えびすしゃ)の儀は、八ヶ年目(はちかねんめ)に一度宛、神事執り行ひ(い)相成(あいな)り来(き)たり(『風土注進案』神田上村)
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右の豊浦郡神田上村土井ヶ浜にある蛭子社では、8年目に一度、神事を行ってまいりました。

土井ヶ浜 2024年7月 山口県下関市豊北町神田上土井ヶ浜
今回の冒頭は、江戸時代に編纂された長州(萩)藩の地誌『風土注進案』から、豊北町神玉土井ヶ浜にある神功皇后神社に合祀された蛭子社のお話の部分。19世紀前半、天保改革の一環として、地誌編纂のため、藩内全域の町や村から地域情報を提出させました。それをまとめたものが『風土注進案』として、今に伝わっています。
江戸時代の山口県は、毛利家が藩主として支配していました。豊北町域では、阿川・滝部・神田・神玉などに萩藩の領地があり、粟野・田耕・角島・北宇賀などは長府藩の領地でした。萩藩は、領地を「宰判(さいばん)」という単位で分けていて、豊北町域は「先大津(さきおおつ)宰判」に入っていました。同じく長府藩による地誌は、『豊浦藩村浦明細書』です。

田耕神社 山口県下関市豊北町田耕
ここで「八ヶ年目ニ一度宛神事」と記されたのが、浜出祭のこと。浜出祭は7年ごとですが、ここで「8年に一度」となっているのは、当時は数え方に「0(ゼロ)」の考えがなかったからです。いわゆる年齢の「数え年」と同じ。
浜出祭を行った年を「1年目」と数え、翌年を「2年目」とします。なので、次の浜出祭の年は「8年目」。前回2018年が1年目なので、今回2025年は「8年目」にあたるので、「8年に一度」となります。現代の感覚では「7年目」ですけれども。
今年の浜出祭にあわせて、下関市立豊北歴史民俗資料館「太翔館」では企画展「絵巻でたどる浜出祭」、土井ヶ浜遺跡・人類学ミュージアムでは企画展「発掘調査の成果から浜出祭を考える」開催中。2館で同時開催、いずれも年始は1月4日から開館、5月18日まで。そして、今年の4月6日は、ぜひ浜出祭にお出かけください!