豊北町の夕景と下関城郭サミットと竜山城
城山 壱ケ所 田耕村境に有り、但往古杉民部太輔元重城主之由申伝候得共、外ニ由緒等申伝ハ無御座候(『地下上申』豊浦郡殿井村)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほく、少し雲はあるものの快晴。ドライブ日和です。きっと素晴らしい夕景が見られることでしょう。
昨日、お天気が良かったので、帰り道に角島大橋から灯台へ寄ってみました。角島大橋着が17時半くらいになって日没には間に合いませんでしたが、きれいな黄昏の空を見ることができました。
角島灯台は、来年3月20日まで、日没から22時まで、夜間ライトアップしています。明治9(1876)年初点灯、今でも現役の灯台の、夜闇に浮かび上がる優美な姿が楽しめます。こちらもぜひお出かけください!
今週末11月12日(日)午後、道の駅ほうほくから車で約30分、川棚温泉街の中にある川棚の杜・コルトーホールでは、下関城郭サミット2023が開催されます。第一部は13時半から下関市役所・田中洋一氏の講座「城をこしらえる~史料にみる下関の城郭」、第二部は下関市教育委員会・中原周一氏をモデレーターにシンポジウム「下関城郭サミット2023」となっています。
同時開催で、下関城郭サミットパネル展もあり、定員にはまだ余裕があるそうなので、お城好きな方はぜひご参加ください☆
また、下関市内の各所で「下関城郭カード」配布中。配布施設を訪れて「下関城郭カードをください」と言うだけでいいです。下関市内に城郭・山城は50カ所以上ありますが、カードのために山に登る必要はありません。
「下関城郭カード」は全部で12枚。お城の説明があり、ゆかりのキャラも描かれています。私もいくつかは持っていますが、まだ途中。ゲーム感覚でのドライブも楽しいですよ。
豊北町では、下関市立豊北歴史民俗資料館・太翔館(たいしょうかん)で、豊北町滝部の城山城(じょうやまじょう)カードを配布しています。城山城は、防御機能がそれほど強くないため、交通の要所をおさえる見張り場とか狼煙(のろし)場のようなものだったかも。
城山城は天守閣や水堀を備えた江戸時代のお城ではなく、室町時代頃の山を削って作られたお城。小さな丘陵地のてっぺんに主郭(しゅかく)と、それを取り巻く腰曲輪(こしくるわ)があります。城山の北側にある、室町時代のメインロード肥中街道(ひじゅうかいどう)を押さえるお城と考えられます。
城山 壱ケ所 田耕村境に有り、但往古杉民部太輔元重城主之由申伝候得共、外ニ由緒等申伝ハ無御座候(『地下上申』豊浦郡殿井村)
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城山(じょうやま) 壱ケ所(いっかしょ) 田耕(たすき)村境(むらざかい)に有り、但(ただし)往古(おうこ)杉民部太輔元重(すぎみんぶだゆうもとしげ)城主之由(じょうしゅのよし)申伝候得共(もうしつたえそうらえども)、外(ほか)ニ由緒等(ゆいしょなど)申伝(もうしつたえ)ハ無御座候(ござなくそうろう)(『地下上申』豊浦郡殿井村)
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城山 一ヶ所 (殿居村から見て)田耕村との境にある。その昔、杉民部太輔元重(すぎみんぶだゆうもとしげ)という人が城主だったと言われているが、他に由来などの言い伝えは特にない。
今回の冒頭は、江戸時代、18世紀の地誌『地下上申(じげじょうしん)』から。滝部の城山城ではなく、田耕と豊田町殿居の境にあった城山のことが載っています。『地下上申』には「城山」ですが、他に「滝の上城」「滝山城」「竜山城」とも。
現在、地元では「城山(じょうやま)」と呼んでいますが、学術的には「竜山城(たつやまじょう)」とされます。まあ「城山」はよくある名前だし、近くの滝部にもあるからでしょう。
杉元重(すぎもとしげ)は、大内家の重臣の杉家の一族と思われます。民部大輔(みんぶだゆう)は通称。詳しいことはわかりませんが、大内家の滅亡後、毛利家の家臣となっているようです。
豊臣秀吉が九州を平定した天正19年(1591年)、吉川元春(1530-1586)の次男・繁沢元氏(はんざわもとうじ1556-1631)が豊浦郡殿井(豊田町殿居)を領して竜山城主となりますが、本領は別にありそうです。繁沢元氏は関ヶ原合戦後、いったん周防国(山口県東部)に移り、嫡男の毛利元景(もうりもとかげ:1575-1631)の代に、豊浦郡に戻って阿川に本拠を置き、萩藩の重臣・阿川毛利家となります。
道の駅ほうほくには、竜山城のある城山のふもと、下関市豊北町田耕の小野地区で育ったブロッコリーが並んでいます。昔を思いながら、ぜひ食べてみてください!