滝部駅イルミネーションはじまる!
降誕祭の日 ○天文21年12月10日 我等は弥撒を歌ひ、良き声にはあらざりしが、キリシタン等は之を聞きて大に喜びたり。(「1554年 ○天文23年 イルマン・ペロ・ダルカセバがゴアよりポルトガルの耶蘇会のイルマン等に贈りし書翰」『『耶蘇会士日本通信』)
こんにちは。山田です。今朝の道の駅ほうほくは曇り。今日から、毎年恒例・歳末市が始まりました!
道の駅ほうほくから車で約10分、JR滝部駅でクリスマスに合わせたイルミネーションが始まったと聞き、行ってみました。6月末~7月の豪雨災害の影響で運行休止(代行バス運行中)している、JR山陰線の復旧を願って、来年2024年1月9日まで点灯。豊北町の子どもたちが作った、かぼちゃオブジェも展示中。ぜひご覧ください☆
代行バスは、列車との時間がずれることもあります。夜の長い待ち時間解消のため、下関市が平日夜の臨時便をスタート。滝部駅18:50発の臨時バス(片道直行便)で、小串駅19:34発下り(下関行き)に間に合います。土日祝と12/29~1/3運休。来年3月29日まで。遅い時間に移動の方、ぜひご利用を!
降誕祭の日 ○天文21年12月10日 我等は弥撒を歌ひ、良き声にはあらざりしが、キリシタン等は之を聞きて大に喜びたり(「1554年 ○天文23年 イルマン・ペロ・ダルカセバがゴアよりポルトガルの耶蘇会のイルマン等に贈りし書翰」『耶蘇会士日本通信』)
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降誕祭の日 ○天文21年12月10日 私たちはミサ曲を歌い、良い声ではなかったが、日本の信者たちはこれを聞いてたいそう喜んだ(「1554年 ○天文23年 助修士ペロ・ダルカセバが、ゴアより、ポルトガルのイエズス会の兄弟たちに送った手紙」『耶蘇会士日本通信』)
今回の冒頭は、『山口県史 史料編 中世1』(山口県、1996年)掲載の、『耶蘇会士日本通信』から。「弥撒」は「ミサ」で、キリスト教の礼拝集会のこと。「歌ひ(歌い)」とあるので、グレゴリオ聖歌やポリフォニー音楽が歌われる「歌ミサ(Missa Cantada)」が行われたもよう。
日本の旧暦で天文21年12月10日は、キリスト教暦になおすと1552年12月25日で、イエス・キリストが生まれた日にあたります。当時のキリスト教暦は、現代日本の暦と同じく太陽の運行を基準としていました。そのため、この日に降誕祭(いわゆるクリスマス)のミサが行われたのです。
「イルマン」はポルトガル語の「兄弟(irmão)」の音訳で、当時のキリスト教の(司祭ではない)修道士や助修士の呼び名。「ペロ・ダルカセバ」は人名で、最近は「ペドロ・デ・アルカソーヴァ修道士」と書くものもあります。
参照した『山口県史 史料編』が、古い日本語訳を使っているようですが、引用なのでそのまま。ペドロ・デ・アルカソーヴァは、バルタザール・ガーゴ神父や、デュアルテ・デ・シルヴァ修道士とともに、日本からインドのゴアに戻ったフランシスコ・サビエルに派遣されて1552年9月、日本へ到着したところでした。
「ゴア」はインド西海岸中部にある都市の名で、当時ポルトガルの拠点でした。「耶蘇会(やそかい)」は、キリスト教イエズス会のこと。「書翰(しょかん)」なのでつまり、1554年にインドのゴアにいたアルカソーヴァが、本国ポルトガルのイエズス会に宛てた、日本での布教内容を報告する手紙です。
日本にキリスト教を伝えたフランシスコ・サビエルの鹿児島上陸は1549年8月、山口には1550年11月に着いている(その後京都へ)ので、宗教行事としての降誕祭はもっと早く行われていたでしょう。しかし、日本人の信徒も交えた、現代へもつながる本格的な「クリスマス」の記録は、やはり1552年12月25日(天文21年12月10日)の山口のものと言えそうです。
この時のミサは、サビエルと共に日本に来て山口に残っていたコスメ・デ・トーレス神父、フアン・フェルナンデス修道士、この年山口に来たバルタザール・ガーゴ神父、デュアルテ・デ・シルヴァ修道士、そして後に手紙で記録を残すペドロ・デ・アルカソーヴァ修道士によって行われました。場所は、大内義長(おおうちよしなが)に8月に承認されたキリスト教寺院・大道寺(だいどうじ)。戦乱の世に流れた異国の歌は、人々をどんな気持ちにさせたのでしょうか。
でも、日本のお正月もお忘れなく!